泣き言
個人宛のメッセージ等なら書く事ができるのですが、Twitterやblogの記事を書く気力が段々無くなってきている事が寂しく、辛く、悲しく思っています。
確かに30~40代で社会に対して思う事は大抵のことはblogに書いたかなぁとも思いますし、精神病の事は多くの方が既に書いてらっしゃったり、精神科のある病院のHPもソフトな印象で分かりやすい説明があったり、行政側も広報ページを色々作って下さってると思っています。
そもそも、今はふと思った事でさえ気軽にネットで公開するのはリスクがあると自分は考えています。
Twitterで自分をフォローして下さっている方は少ないのでハッシュタグをつけたものや主postにrep.したものがたまにイイネを頂ける位ですが、それでも激高しやすい界隈の目にとまらぬよう、ぼんやりとした感じで書かないと、と気をつけています。
よく昭和時代のTV番組や歌詞やタイトルで「今だとNGだよね」というのがありますが、そんな時、昭和脳の自分の思考/指向にも今ではNGなものがあるんだろうなと溜息をつきます。
若い頃なら「ルルァア! 受けて立つ!」ってな事もあった……かな? でも今は絶対無理。拡散があまりにも早すぎて対応出来ません。精神病が年々自分により重い重石を乗せてきて、リアルの生活を維持するだけでも大変なのです。
「若いから出来る事/出来ない事、今の歳だから出来ない事/出来る事」そういう風に考えるようになってきましたが、気力の低下は「この歳でも出来る事」を狭めてしまって。
「あの頃はよかったね」とネット上でもセミリタイアメントして、ゆっくりとフェードアウトしていくのかなぁ……とちょっと泣き言。
遠い昔、美文の織り手。
個人特定を避ける為ちょっとボカして書きます。
自分が学生時代、地毛が黒系の髪ではない学生さんがいました。自分も「あらまあ。さておき綺麗だなあ。遺伝かな?」とか思っていました。他の生徒も同じように感じていたのかも知れません。
自分が卒業間近な頃、文集にその学生さんが自身の髪の事について寄稿しました。
美文。読みやすく美しい文章。内容については、髪の色は遺伝ではなく突然変異的なものである事等しか覚えていないのですが、「ああ、完敗だ。自分にはここまでは書けない」そう思ったほどに素晴らしい文章でした。
萎縮するのではなく、自らの髪に関する様々な事を、糸を紡ぎ、染め上げ、糸車に掛け、機織りしていくように、落ち着いて織り上げた文章。
小論文やレポートのような淡々としたものでもなく、かといってラフでもない。エッセイではなく随筆という感じだったような。
残念ながらその文集はなくしてしまい手元にありません。切り取って日記帳に貼っておけば良かったと思います。
今、その方はどうされているかは分かりません。文筆業をされているのでしょうか。それとも自分のようにblog等に少々書く程度で、ごくごく平凡な日々を送ってらっしゃるのでしょうか。
もしかすると自分が知らないだけで、ヒット作を出してらっしゃるのかも?
自分の我が儘でしかありませんが、そうあって欲しいと、出来ればその方の「美しい織物」をもっと見る事ができたらと願うのです。
祈り
Twitterのpostから。
「ひとりでも多くの人が、清潔な水と美味しく温かい料理とオヤツを家族や親しい方と楽しめますように」というのをよく願い、postしていますが、「ひとりでも多くの人が清潔な寝具で生命の心配なく大切な方と寄り添って眠ることが出来ますように」というのも大切な願いと祈りだと思います。
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自分は殆ど外に出る事がないのでCOVID-19に罹患する可能性はとても少ないと思っています。ですが、前夫を含め親しく、またお世話になっている方々から見知らぬ方まで、やはり苦しい日々が続くのは辛いですし、病を抱えるのはもっと辛く悲しいです。そんな事は出来るだけ少ない方が良いと思っていますし、早く世界中の方が安心して町を行き交うことができる日々が来て欲しいなと。
草の根パソ通をしてた頃「苦労は買ってでもするものじゃあない」と先達の方が書いてらっしゃいました。まさしくその通りだと思います。
健康で、元気で、少しでも沢山笑って、お話して……そんな一見平凡に見えること……それがとてもとても大切な宝物なのだと多くの方に伝えたいと思っています。