2013-08-15:記憶の砂
ある意味、テレビとか動画はズルい。
いくら生々しいシーンを見せても、遠くの出来事にしか感じさせないところがある。映画やTVドラマというフィクションを見すぎた副作用だろうか。
第二次大戦の悲惨な状況の写真や映像を見て、ギクリとなるのは、多分、その時代を体験した人かその人から直接体験談を聞いた人だけではないかと個 人的に思う。そして、戦後70年近く経ち、実際に経験した人の多くは亡くなったりしており、また、自分のような「昭和ヒトケタ世代を親に持つ世代」が、親 から聞いた実体験を子供に話しているかどうかは分からない。
かつては多くの人が抱いていたものが、今では砂となり、そして風に吹き飛ばされていく……
だが、当時の人々が残した日記や遺書の実物(印刷物等にされてないもの)は、「時を刻むことを忘れた時計」のように、あの当時のその人が抱いた思いを今に伝えていると思う。零戦が特攻する動画よりも、その零戦に 乗る前に飛行兵がしたためた遺書のほうがずっと人の胸を打つと自分は思っている。だからいつか知覧に行ってみたい。「飛ばねば、征かねばならなかった」若 者達が綴った最後の一言を、この目で見たい。そして、自分の中からこぼれてしまいつつある「砂」がこれ以上落ちないよう、気合いを入れたい。
そして、ネットの片隅に、その「砂絵」を残しておきたいとも思うのだ。
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自分だって、戦争はない方がいいと思っている。戦争が起きれば、兵士だけでなく民間人も戦禍に巻き込まれてしまうのだ。中東やアフリカの一部が現在そうであるように。
しかし、他国から「ふっかけられたら」戦うしかないとも思っている。守らねばならぬのだ。守らねば……
だから、そういう事が起きないよう常々神々に祈っている。瑞穂の国をまもりたまえと。そして、戦禍によって亡くなられた方々への慰霊を。特に、空襲で亡くなられた方々に……
繰り返そう。戦争は起きない方が良い。しかし、守らねばならぬ時が来たなら、立ち上がらねばならない。
でも、一市民でしかない自分には、そういう事が起きぬよう神仏に祈ることしかできないのだ。