小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

安倍首相靖国神社参拝問題にからめたコラムを読んで

 2chのニュー速+板に載っていた記事で気になる事があったので、ついつい、出来心でちょちょっと書いてお問い合わせフォームで送りました。なんかこう、ひっかかる文章だったので。

 なお、多分、記事はいつか閲覧不可になると思いますので、コラムをお書きになった方の名前はイニシャルにしました。

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 ネットのニュースで「正月休みで実家に帰り - 西日本新聞http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/64055」を拝見しました。
 
 字数制限されたコラムで細かい事を描写できないのは分かりますが、M様のお父様がそれまで靖国神社に対してどういうお気持ちを持ってらっしゃるのか、それが明確でないため、引用したお父様の発言が、今の小中学生の子供達が「首相が靖国神社に参拝することが何故いけないの?」と教師や親に尋ねているのと同じレベルに感じてしまうのです。M様のお歳や、M様のお父様のお齢が分からないため、なおのこと不自然に感じました。

赤紙一枚で戦地に散った兵士と、国策を誤った指導者を分けて参拝することはできない。
>合祀が明らかになって以降、天皇陛下も参拝していない。
>境内には太平洋戦争を「正当化している」との批判も多い戦史博物館「遊就館」もある。
  
 まずここが特に気になりました。参拝をするという行為ではなく、むしろ、その後にM様がお書きになっている諸外国の反応、それに日本国政府が毅然とした反応をしていないことを一番最初に、そして強調して書かねばならなかったのではと個人的に感じるのです。

 これでは、靖国神社の存在自体がよろしくないとM様、ひいては貴紙が考えてらっしゃるのかと読者が捉えかねないのでは? また、「遊就館」への批判も多いとお書きになってらっしゃいますが、その声の大きさはどれ位なのでしょう? 自分がネットでチェックするニュースを見る限り、平和強調主義とでもいうような方々や、左派、そして中国と韓国の政府とその国の方の何割かが反対している印象しかなく、「遊就館」について多くの意見が頻繁に交わされているとは感じられません。日本人、特に若い世代の方は靖国神社にそのような施設があることを知らないのではないでしょうか。靖国神社がどこにあるのかさえ分からないのではと個人的に思う位です。
 もし、靖国神社の存在について否定的である事が貴紙のポリシーであるなら、その延長上の事ですから仕方ないと感じますけれども。

 自分は関西在住であり、貴紙のポリシーについては良く分かりません。ですが、各メディアがそれぞれのポリシーで記事を書く事を自分は良いことだと思っています。なぜなら、情報過多の現在、多くのデータを精査する力を養うことが重要だからです。どのメディアも同じような論調であれば、比較検討が出来ません。古今東西の本を掘り返したり、色々な意見に触れ、それらを精査した上で「自分自身の考え」を定めることが現代人には重要だと考えております。
 インターネットの時代になって、今まで目にする機会がなかった、各都道府県の地方紙のHPでこうやって記事を読むことも出来ます。貴紙はこのような論調を展開する新聞なのだと今回知ることができたのは良い事だと考えております。

 また「田舎のおやじには分からんぞ」というひと言が特に気になりました。お父様のご発言を絡めてお書きになるのでしたら、読者に対しても、ご自身のお父様に対しても、もう少し気配りがあってもと複雑な気持ちでおります。この問題については、あらゆる世代が考えるべきことだと思います。世代を代表して「田舎のおやじ」とお書きになったのだろうと推測しますが、M様のお父様という前提があるため、読み手には「国民に広く」というのが伝わりにくいのではと感じるのです。

 そういう事で、情報過多の現代、国民一人一人が「広い視野と柔軟な思考を持つ」ということを、九州の新春の空と雑煮のお餅に、「情報に流されずしっかりとした考えを自分の内に作り上げる」というのを今年の干支の馬……阿蘇の野生馬のたくましさ、美しさにひっかけて書いて頂きたかったなとふと感じ、大阪よりメールにて気持ちを伝えたいと思い、つらつらと書かせて頂きました。
 
 貴紙のご清栄をお祈りしつつ。

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以下、削った所

 自分は現在40代半ばです。昭和一桁世代の両親(既に他界しております)の元で育ちました。苦しい事があったのか、両親はあの時代に体験したことについて一切口にせず、靖国神社のことについても何も語りませんでした。そのため、逆に自分は「市民レベルの視点からみた歴史」に興味を抱くようになり、両親と同じ世代やその上の世代の方が綴った話などを見つけると読むようにしております。軍人さんだった方々のお話も同様です。特攻隊に志願した方の遺言も読みましたし、あのような堅苦しい遺言とは違う、本音を交えて当時の思い出を綴った話も読みました。
 それらを読んで思うのは、靖国に対してあの世代の方々も様々に感じてらっしゃるのではということです。「靖国で会おう」という言葉。それは心からのものだったかも知れませんが、そう言わなければ気持ちがくじけてしまうとか、仲間から後ろ指を指されて辛い思いをするのが恥だった等々、様々だと感じるのです。あの世代を生き延びた方々の、戦後になってからの靖国神社護国神社に対する気持ちも同様ではと。
 取材をし、文章をお書きになるお仕事をされてらっしゃるM様のことですから、自分よりもより多くのこういったお話に接してらっしゃるため、釈迦に説法かと思いますけれども。

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 削った所は、靖国神社について自分が思っている事を書き出してみたという感じです。でも、冗長になってしまったので削りました。とはいえ抹消してしまうのも惜しく……そこで、それも含めてメモとしてここに残すことにしたという訳です。

 んー、読み返すとやっぱり修正しなきゃいけない点が沢山見えますね。勢いで書いちゃったから仕方ない……多分、この記事についての意見メールは多いと思うので、M氏がご覧になることは無いと思いますけどね。

 とはいえ、長文だらだらだらだら垂れ流しの自分からすれば、指定文字数以内でキッチリ書くことができる方は本当、尊敬します。ホント。