小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

2013-05-21:まったくさぁ……

 以下は、自分の個人的な意見と感想。

 何度かblogとかあちこちで書いた記憶があるんだけれど、自分にとって「戦争というもの」の基礎知識というか、最初に触れた資料が、毎日新聞社刊の「1億人の昭和史」の第二次大戦あたりの3冊だった。何故、母が(というのも、自分が幼い頃、家で本を買うのは母のみだったので、母しか考えられない)これを購入したのかはわからない。毎日新聞を取っていたので、販売店とのお付き合いだったのかも知れない。しかしなぜか3冊のみ。「3巻:太平洋戦争(昭和16年-20年)、4巻:空襲・敗戦・引揚(昭和20年)、5巻:占領から講和へ(昭和21年-27年)」の3冊だったと思う。1億人の昭和史はその後の巻も興味深いので、本当は手元に置きたい位なんだけど。実家から離れるときに何故持ち出さなかったのだろうと悔やんでいる。

 それらの本や百科事典などはリビングではなく、普段使わない部屋に置いてあったのだが、自分はよくその部屋に入ってそれらの本をよく見ていた。子供の頃から図書館好きだった自分の不思議な習性なのか、なぜか自室に持ち込むことなく(図書館の持出し禁シールが貼られた本のように)、その部屋で見ていた。

 なんといっても、写真。インパクトがある。戦場だけでなく、当時の人々の暮らしをカメラマンがとらえている。キャプションについてはあまり覚えていない。あと、白黒なのと、当時はさほどうるさくなかったせいだろう、そこそこ残酷な写真もあった。例えば、今でも覚えているのは「米軍? に射殺された、水を汲みに来た日本兵」の写真だ。うつろな目を空に向けて水場の側にだらりと倒れている彼の身体には黒い穴が点々と開いている。傍らには飯盒(はんごう)。ボサボサの髪、ボロボロの軍服。疲弊。飢え。虚。

 また、こういうのもあった。空襲後の街の風景。道路に並んでいる親子の黒焦げの死体。後に母がふと、もらしている。「空襲で逃げる途中、黒焦げの死体を踏んでしまったことがある。丸太を踏んだと思ったが、黒いのがずれて、ピンク色のがみえた」と。生々しい証言だ。

 4巻あたりは、映画「麻雀放浪記」の冒頭のシーンのようなものがある。ヤミ市の様子や買い出し列車もある。その中で、カストリ雑誌のことや、猟奇殺人があったりなどの話もあった。警察の目をかすめて遠くから撮影したのであろう、亡くなった被害者が映っている強姦殺人の現場の写真も恐ろしいものがあった。そして、戦災孤児やパンパン達の写真。また、現地妻のような女性とその間に生まれたG.I.ベビーの記載もあったように思う。占領軍が去った後、残された女性とその子供たちはつらい状況に置かれたと聞く。

 戦災孤児の写真も色々あった。物乞いをする子供。高架下かトンネルのようなところ寒さを凌ぐ孤児。キャプションにはそういう状況で凍死した子もいたとかあったように思う。タバコを口端に加え、今で言う「ドヤ顔」をしている悪ガキ。また、「子供がパチンコをしないよう規制する云々」というキャプションがあった、バネ式のパチンコをする少年達。どうやら、パチンコでタバコを交換できるらしく、それがいけないという事らしい。また、日々の食事に困窮してタケノコ生活を送っているという状況下でも、パチンコや麻雀放浪記にあるような博打場がしっかり存在するというのも興味深い。

 そういう、「教科書では書かれない戦中~戦後の日本」の写真を始め、新聞やテレビのニュース、父が読んでいるFOCUSやスポーツ新聞、特にの風俗欄(今の風俗欄はわからないが、当時は嬢へのインタビューから具体的なサービス内容、官能小説連載もあった)などを10代前半から読んでて、大人っつーのは綺麗事ばかりでは済まないんだナ、というのを子供のレベルとはいえ、なんとなく感じていた。そして、教科書は「綺麗な歴史」しか教えないんだなとも。

 歳を取って自分自身大人と呼ばれる年齢になった後は、社会の暗部というか、「人間、美味くて綺麗に盛られた食事を摂っても、クソをするのは変わらない」という感じで、綺麗事じゃあ社会は語れないよねという、斜にかまえた所があった。20歳前後が特に強かったように思う。

-------------------------------------------------------------------------------------

 それから色々あって、怒りで身を震わせたり、ウツで引きこもったり(今よりも本当に酷かった)、このままじゃヤバイということで治療を開始したということを経て、35歳あたりからやや、丸くなったというか、観音さまの大慈悲に触れることで、人のいたわりや、やさしさの循環などを信じることもできるようにはなった。

 だが。

 歴史観だけはあまり変わらないような気がする。だって、写真や映像が残ってる。無論、それらは昔から容易に改ざんできることは知っている。けれど、戦中戦後の庶民のごく普通の写真で、検閲以外の目的で改ざんするというのは無いのではとも思っている。パンパンが占領軍の兵士と親しくしている写真を改ざんして何か得になることがあるとは思えない。赤線の話だってそうだ。

 フィクションの話になるが、映画「フルメタル・ジャケット」の、ベトナムに主人公が移ってからのシーンで、ベトナム人女性が主人公と同僚のカメラマンに「好きなところまでどう?」と声を掛け、値段交渉をするシーンがあるが、当時そういうケースがなければああいう描写はないのでは? と思いもする。

-------------------------------------------------------------------------------------

 ふう。ここでやっと橋下市長の談話の話に移ることが出来る。

 占領軍が上陸した当時、そしてそれからしばらくした後、占領軍の兵士を相手にした売春行為や、今で言うところのキャバクラのようなものがあったというのは否定できないと思う。その「否定できないこと」を今言うことは構わないと自分は思っている。占領軍兵士に限ったことではない。赤線に通った日本人男性だってまだ存命だと思う。また、「自由恋愛」のうわっつらをかぶっているものの「料亭」は今でもあるし、温泉地じゃパニオンちゃんとなんだかんだできちゃうのも、P2Pでネットに写真が流出しちゃったりして確認出来る。ソープやデリなどは言わずもがな。

 性に関することは恥ずかしいことなので、公で喋っちゃいけません、なーんてすました顔でコメントする方もいるけれど、自分はちょっと違う。性風俗に関することも立派な歴史の一側面だと思う。文化を語る上で外せないことだとも思う。要は、そういう「歴史的・文化的側面」からのアプローチを伴った発言であればOKじゃないかという事だ。

 とはいえ橋下市長の発言の中で「こりゃあかんわ」というのは、現在の在日米兵に近隣の風俗を使ってくださいよと記者団が居る前で言っちゃったこと。それはさすがにまずいと思う。記者がいない時やオフレコとして、そっとささやくべきだったと思う。性風俗の価値観が日本と欧米では違うというのを橋下市長があの時把握してなかったことが悔やまれる。後日、橋下市長は「あまりにも国際感覚が足りなかった。反省すべきところがある」とpostしている。

 だが、一番アカンと思うのは橋下市長や維新の会の議員の第ニ次大戦時の慰安婦問題から性風俗関係の一連の発言を十束ひとからげにしてダメダメダメと連呼している人たちだ。それら発言のひとつひとつについて考えるべきで、精査せずなんでもかんでもあかんあかん、ダメダメと拳を振り回すのは見ていて恥ずかしい事この上ない。

 これも常々書いているが、「反対反対!」と子供がだだをこねるように反対という単語のみ連呼するのは誰にだって出来ることだ。何故駄目なのか、反対している対象がどういう悪影響を及ぼし、対象が消えることでどういうメリットが生まれるのかきちんと資料(放射脳な人が押すようなデータではなく、第三者が出した統計などのデータ)、反対でも賛成でもない人が見ても納得できるような資料を出してもらいたいということなのだ。 

 特殊慰安施設協会やパンパンの存在、朝鮮戦争時やベトナム戦争時の現地での売春婦の存在は公式だったり非公式だったりという差はあるが、「否定できないこと」ではないだろうか。先述したが、確かに、日本と欧米では性風俗についての価値観の違いはある。が、歴史を紐解いた時、「否定できないこと」があったならば、認めるほかないのではないか? 無論、事実は一つでも、それを「見た人」の数だけ「真実」はある。しかし、修正されていない写真や本音の証言、占領軍や朝鮮戦争ベトナム戦争当時の公的書類などで証拠として固いものは歴史的資料として「ひていできないこと」をより揺るがないものへと固めていくと思う。

 ここまでくると、後はお決まりの「女性差別」だ。じゃあ、なんですか、男性が性風俗に行くのは駄目? 駄目ならソープやデリとかを法律で禁止するよう働きかければいいのでは? 街角で「たちんぼ」している女性に「こんなことしちゃだめじゃないの」と声をかければ? 風俗系のHPにF5アタックとか。風俗街で有名な所で、「夜」にプラカードを掲げてデモはしないの? 何より、援交やってる女の子達をどうして片っ端から捕まえて矯正させないのかな?

 すました顔でコメント出したり、市役所を人間の輪で取り囲むより、そっちのほうがずっと「性を売ってる女性を救う」効果があるかと思う。

 市長や議員がショボイ声でカァと鳴いた所で性風俗が変わるとは思わないし、上記のような、攻撃的行動を起こすだけの人はほぼ居ないのでは。だから、カァと鳴いたカラスをふんじばろうとしか、考えない。全く、全く……

 自分は、性風俗は必要だと思ってる。自分が利用しなくてもね。男性のワンダーランドとしての部分。そして、「動機は関係なく」、水商売しか向かない女性というのも世の中にいると思う。また、援交やってるJKとかに尋ねてみてくださいな。何故彼女たちが援交するか。金ですよ、金。そして、寂しから。金払ってくれる男とヤる。その金で物を買ったり、ホストに行って寂しさを紛らわせる。そういうもん。

 カァと変な声で鳴いちゃってトホホなカラスをくくろうが、男の生/性に対する欲望は変わりゃあしませんぜ。そして、カラスをくくって喜んじゃってる人は、アホとしか言いようがない。たった1~2匹のカラスですよ? それで世の中の男たちの性に関する考え方や態度が変わると思ってる? 女性が性や性風俗、売春について深く考えたりすると思ってる? 風俗業についている女性が足を洗うと? 援交JKが学生らしくなるとでも?

 まあ、公人の発言だから、風俗街で「今日はどの店でヤったろか」と思ってるおっちゃんを突っつくよりかは影響は大きいだろうし、メディアからすれば大衆の食いつがいいネタだ。だけど、所詮数羽のカラス。それを忘れちゃいけない。それで満足するのは器が小さいとしか自分には言いようがないし、ただの揚げ足取り、維新の会にハナクソつけたれやっていう程度にしか見えない。政治には泥やハナクソがつくのはよくあること。へのかっぱ。

 しかも橋下市長は一癖もニ癖もある人物。確かに「反省すべきところがある」という発言やpostもあるけど、あれ位のことで動揺はしないっしょ。むしろ、最近維新がらみのネタがなかったから、国民に「維新の会、ここにあり」と思い出させただけでも良しと思ってるんじゃないかと自分は思う。

-------------------------------------------------------------------------------------

 twitterとかSNSって怖いなと思う。情報がガバガバ恐ろしいスピードで大量に流れる時代も。ネットリテラシーがなかったり、身内だけが見ていると思ってネットに書いちゃったら拡散しちゃって大炎上。その上、メディアやtwitter等で流れる情報に簡単に踊らされる。足元すくわれる。

 確かに今流れている情報も大事。しかし、今は過去の延長。過去の出来事をしっかりと調査し、把握したり、自国、自分の居所の文化や海外の文化をできるだけ見聞きし、学んだ上で発言することの重要性、つまり、教育の重要性が今問われているってこと。情報過多だからこそ、情報を見極める「目、耳、頭、こころ」が大事。

 自分を助けてくれた恩人たる友がかつて言った言葉。

 「学生運動で懲りた政府が、学生をバカにしようとして教育をおろそかにした」

 そのツケが今になってきてるんですかね。受験特化の勉強しかできず、社会人になってから役立つ事を学ぶことができないというような。

 無論、学ぶ人はちゃーんと学んでいると思いますよ。世代関係なく。教科書をテストのものだと割り切り、本当に自分が知りたいことを探すため図書館の棚に潜り込んだり、ネットで様々なものを見て深く深く探索をしている人が。一つの意見に縛られず、類似、反対意見さえも目を通していくことの重要性を認識しつつ。

-------------------------------------------------------------------------------------

 てな訳で、「さつき」に投下するかどうか迷いましたが、荒っぽい言葉を使ってるのもあって、「飯」の方に投下しました。最初にも書きましたが、これはあくまで一市民たる自分の考え。「あ、そ。で?」と言われたらまあそれまでです。

 でもね、メディアに踊らされることの危険性だけじゃなく、橋下市長、いや、維新の会代表としての橋下氏の巧妙な手口にも要注意ってこと。維新の会の名前を広めるためには既存の手法じゃ駄目だと思ってるんでしょう。だからあえて虎の尾も踏むのだろうねと。

 自分は、近畿圏を平らげるという本来の目的を果たすなら維新の会を応援するけれど、国政にまで手をだすなら応援しないと前にも書いてます。最近の動きを見るとちょっとね。国政に天秤が片寄ってる気がしないでもないと。

 「近畿だけ良くなればいいのかよ!」というお叱りを受けるかも知れませんが、ならば、お住まいの地域を活性化させる人材を掘り出して旗揚げさせればよいのではと思います。残酷だけど、国政がああだから、もう少し地方自治が力を持って欲しいと思うんですよ。ただ、都道府県単位では厳しい。ゆえにある程度集まった「圏」という単位が望ましいと個人的に思っています。

 

 さてさて、だらだらと書いてしまいましたが、ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら……本当にありがとうございます。