小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

愛と憎しみと

 ウィキペディアをふらふらしていて、「サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として会議に出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は「憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説[3]を行った。」という事を知った。
 
 兄弟への憎しみは今でも時折自分の心に浮かぶ。
 しかし、兄弟との連絡を絶ち、寂しいながらも安定した日々を送るようになったため、それが浮かぶ頻度はかなり減った。
 そして、憎んでもなお残された血縁という思いも同時にあり、どこか遠くで無事に過ごしていて欲しいとも思う。

 だけれど自分は出来た人間じゃあない。
 もし再び兄弟と出会うことがあるなら、この大バカヤロウと言うんじゃないかと思う
 仏教徒の末席でモジモジする人間としてはアカンなぁと思うけれど、やはりまだ、揺れてるんだな、と。
 
 愛。
 分かってはいるけれども、やはり、自分は生々しい人間なんだなと寂しく笑う。

星座

 恋愛をガラス細工と言っていた人がいる。
 後々その恋は終わってしまいガラス細工は床に砕け散った。
 だけど、床に散ったガラスの破片は星になり、星座となった。
 ギリシャ神話を題材にして天の星座ができたように、床に散った恋の星座は当時の思い出の幾つかを今も心に残している。

国語に思うこと

 風呂に入ると色々な事を思いつきます。何故かは分かりませんが。
 
 昨日は「国語の授業も英語のリーダーとグラマーのように二つに分かれていた方がいいかな」と考えていました。
 「国文法=文法、筆記中心としたコマ」と「読解=文章を読んで感じたり考える事を中心としたコマ」とし、双方とも、漢文古文~現代文まで扱うようにすればどうだろうか、と。
 
 そう考えるようになったのは、40代になってやっと源氏物語の現代語訳を読む楽さを感じる事が出来るようになったからです。
 高校時代までは、受験という幹から伸びる枝の一つとして古文に触れたため、しかも「源氏物語」のようなボリュームのある作品の一部分を取り上げての事ばかりでしたから、登場人物や描かれた物語に思いをめぐらすことよりも、問題を正確に解くことが優先された感がありました。
 物語を楽しめなかったのが、古文から遠ざかってしまった原因のひとつかなと。
 大鏡などの鏡ものは歴史の知識も必要ですし、なおさらげんなりしてしまって。うたて、と。
 
 今、手元に残っているのは高校の現代文の教科書と古文のテキスト集ですね。受験も定期試験もなく、それなりに人生の山や谷を越してきた今開くそれらは、学生時代には見いだせなかった味わいがあります。

 なにより、つっかえながらも口に出して読む古文の美しさ。

 10代は感受性が高いという話がありますが、人生の艱難辛苦を超えた後の残ってる感受性もまたそれはそれで、若かった当時とは違う見方や味わい方があって。
 ただ、もう少し早く……まだ文章をこつこつ書いたりしていた30歳頃に、古文等味わう器が出来ていたら良かったのにとちょっぴり寂しく思います。
 受験という幹は無視できませんが、せめて、少しでも「清ら」な文章を書く事が出来、味わう地力を学生時代にそこそこ作っておきたかったなと。

 文法については、ビジネス文章だけでなく、お世話になった方々に出すお手紙に風情を添える事が出来たらとも。電話でのスムーズなやりとりや、客先で失礼の無いお話が出来る事とかも。勿論、SNS等で文章を書くときに読み手が不快にならないようするためには? というのも今の時代非常に大切なのではないでしょうか。
 
 とはいえ50歳を過ぎたから「今更……」というのは無いとも同時に思います。skypeやDiscordのようなものを利用した授業をもう一度受ける事ができたら素敵だなあって。
 以前、公文式の国語をやってみようかと思った事もありましたが、ちょこっと高いかな、と。放送大学は「授業感」を感じる事ができるのかわからなくて。
 ワガママですよね。でもちょっと、叶ったらうれしい夢だなって思うのです。

両親の喪失。悲しみ。でも、泣きながら生きていく。

 パートナーを亡くされた方からのご質問に回答しました。
 パートナーの方はガンの治療中だったのですが、身体症状が急に悪くなり等々とありました。
 シチュエーションが自分の母を亡くした時の事と重なるところもあって、書かずにはいられませんでした。
 
 グリーフケアという単語を知ったのは大阪に転居した後の事です。現在通院中の精神科に併設されたカウンセリングルームで数回カウンセラーの方とお話した中での事でした。
 親父を亡くした後、数ヶ月も経たぬ間にグリーフケアを受けていたら、自分がウツで長患いする事は無かったのかも……と、ぼんやり思う事もあります。
 勿論、生来の自分の心理がダメダメで、例えあの時グリーフケアを受けても後に現実の波を避けきれず倒れてしまったかも知れませんが。
 過去のifを考えても、過去が変わるわけではありません。
 
 変える事が出来るのは、この瞬間以降。未来。

 過去を背負いながら、泣きながら、自分は今日も生きていきます。

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 50過ぎのおばさんです。両親っ子です。
 長い文章ですが読んで頂けるとうれしく思います。
 
 父は高校の頃にガンで、母もC型肝炎からのガンで20年程前に亡くなりました。
 母は亡くなるしばらく前に急変し入院したのですが、既に意思の疎通ができない状態でした。 
 亡くなる少し前、母が身体を横に向けていた時、ふと母が泣いているのに気付きました。
 丁度自分はベッド横に座っており、そのため母と目が合い、母が自分を見て泣いているのだろうかと感じたと思います。  
 
 肝臓の事ゆえ、涙も黄色く。
 言葉無く、ただ目を開けて涙を流しているのです。
  
 不出来な娘を残していく不安(親族に自分のことを頼んでいたと後々聞きました)。
 恐怖。
 痛み。
 何なのか、今でも分かりません。

 もしかしたら意識不明で母の意識はもうなにもなく、たまたま横に向いたから目が開いて、何らかの生理的現象で涙が流れたのかもしれません。
 でも、それでも……と長い間考え続けています。
 そのため、質問者さんのご質問を見て、書かずにいられませんでした。 

 父の死のショックから抜けきれぬまま成人し、心の病気と診断され、その後母が死にゆくことも現実として受け入れる事ができぬままその時を迎えてしまいました。
 
 母没後も自身の精神科治療は続けていましたが、10年ほど前にお世話になったカウンセリングで初めて「グリーフケア」という事を聞きました。
 父の死後にグリーフケアを受ける事ができなかった事も、長く続いている心の病の一因ではないだろうかと先生はおっしゃいました。
 母の死についても同様ではと。

 「グリーフケア」は、大切な方を喪失した悲しみによりそい、支えにになってくださる方々と話をしたり、類似体験をした方と悲しみを共有したりして互いに支え合うような形だったりします。
 
 ◆日本グリーフケア協会 | グリーフケアとは
 https://www.grief-care.org/about.html

 グリーフケアを受ける事も考えていただければと思います。
 質問者さんのこころにある「彼が私のことをどう考えていたか知りたい」や「今後どう生きてゆけば良いのか」というご質問に対する直接の回答にはならなくて申し訳なく思います。
 ただ、その疑問は「大切な人を失った悲しみ」の一つの姿だと自分は感じます。
 悲しみを抱えつつ、それでも生きていく為には、「悲しんでいる自分が居てもいい場所」や「こういう事を悲しんでいると言える場所」、「悲しんでいる自分を受け止め、よりそい、いたわってくださる方」との出会いだと思います。
 そのひとつがグリーフケアではないだろうかと、先生との話やその後ネットで調べたりして感じます。

 「(お住まいの都道府県名) グリーフケア」等の単語でWEB検索してみてください。
 精神科やカウンセリングルームでグリーフケアを行っている所もあるようです。

 悲しんで、悩んで、泣いていいのです。
 大切な人ともう話せない、聞けない伝えられない、それは悲しくてあたりまえだと思います。
 自分は泣きながら35年近く生きてきました。 
 これからも泣いて生きると思います。きっと自分が死んだ後も自分は泣いてるでしょう。
 それでもいいと自分は考えています。

生と死

 もっと生きていたかった。
 ゲームをしたりネットで色々見たり、映画やアニメだって見たかった。
 本ももっと読みたかった。
 
 目が光を捕らえなくなった。その後言葉を発することができなくなって、耳が聞こえなくなり、音もわからなくなった。
 死が近づいていると思っても、悲しんでも、感覚は枯れ果て、ただ思いだけが闇の中で動いていた。
 眠っても闇、起きても闇。
 さみしいにげたいつらいかなしいそばにだれかねえきておねがい。

 夢は現実のデバッグなのだろうと若い頃から思ってた。だから行ったことも見たことも無い場所で、知らない人と、現実にはありえないガジェットに包まれていても違和感がないのだろうと。
 たまに「いま自分は夢を見ている」と感じることがある。並んでいる料理を口に運んだりモノを壊したりしたこともあった。モノは壊れたり倒れたりしたけれど何故か料理の味はしなかった。
 
 「これは夢だろう」
 死につつあるのだろうけど、逃れたい気持ちから夢を見たのかな。
 
 ギュスターヴ・ドレの挿絵入り「神曲」の抄訳版が好きだった。今はその影響にあるのか。
 詩聖ウェルギリウスさんは?

 地獄の外に出たダンテは魚座を曙の空に見る。でも自分は星座が苦手だから魚座を見たことが無い。星々が見えるけれど魚座か分からない。
 ともあれ煉獄か。でもヴェルギリウスさんは居ない。
 <こ……ぞ>
 人なのか何なのかわからないけれど何かが近寄ってきた。最後に認識した現実の自分は病院のベッドで感覚を枯れさせつつ寝ているからそれをはっきり認識できないのは仕方ないのだろう。
 <こちらへ>
 あ、聞こえた。誰?
 <未練>
 そう。もっと遊びたかった。
 <転生の願いと転生の否定の並列>
 同意。自分の宗教観の中に転生はある。が、レテ河の水を飲んで自己を喪失するのは嫌。自分を失いたくない。自分がずっと自分でいたい。
 <生命の樹の存在と意義>
 ああ、やはりそれはあったのか。
 <歴史が好き>
 勿論。
 <過去への干渉>
 それを想像したり小説を楽しんだけれど過去は変えられない。
 <枝そして根>
 生命の樹の?
 <双方は伸びる>
 
 星が集まってサイコロになった。流れ落ちて。砂時計の中に入った。太陽系儀のような幾つもの輪と軸の中くるくる回る砂時計。TRPGの多面サイコロが沢山。
 <ランダムの中のランダムの中のランダム>
 ああぁ。デューンの言い回し。好き。罠の中の罠の中の罠。
 その太陽系儀的砂時計を抱えた自分。輪に触れる。ハープの糸に触れたような。

 「生命の数だけ宇宙があります。次の宇宙が生まれます」
 「自分は死ぬのでしょう。宇宙は終わったという事ですか」
 
 突然自分の五感が外部との接点を復活し認知出来るデータが増えた。
 マトリクスで見たのと同じ白い空間。目の前に居るのは白衣観音さま? でも瓔珞がないし胴体はすっぽり衣で包まれてる。ああ、きっと自分の概念から近似してるデータに寄せているのだろう。
 「生命の樹は枝も根も生長します。けれど個の宇宙は生命の死とともに消滅します」
 見下ろした太陽系儀的砂時計の動きが緩やかになってきた気がする。
 「生命の樹さえ人の数だけあるのですか?」
 「生命の樹と宇宙は関係があるのでしょうか?」
 確かに。
 「じゃあ宇宙の数千億年という歴史がありますという知識も、自分の死と共に消えるのですね。未来への旅人と自分が呼んでいた子供達も自分の認識宇宙の消滅と共に消えるのですね」
 「宇宙が死にます」
 自分のものではない手が太陽系儀に触れた。自由に回転していた砂時計は左へ右へ左へ右へ手前へ後ろへ手前へ後ろへ。ジャグラーが操るリングのようにフリーに動いていた輪も二方向にしか動かなくなり、すべての輪が軸が水平にピタリと。
 砂時計は止まった。サイコロ達は整列した。
 「選定の完了。過去へ。根が成長する時」
 太陽系儀ははたき落とされ、星が散った。
 
 階段を上っている。
 登って登っても階段。早く終わって。
 次の認識。二重螺旋階段だった。
 じゃあ。
 横を見ると自分だけが知っているヒトがいた。
 黒髪の中性的な。
 「真実とは人の数だけある」
 
 おかあさんが赤ちゃんを抱いている。友達の家に押しかけるようにおじゃまして、お祝いしたんだっけ。あの時のおかあさんの笑顔が忘れられない。
 
 あれは誰? 赤ちゃんを抱いている人が居る。
 黄土色の服を着て。

 ボンネットを被った中年女性が身をぬぐってあげたばかりの赤ちゃんを母親の顔の側へ近づけた。
 「奥様、元気なお嬢さんですよ。しっかりした身体だこと。丈夫に育つわ」
 ああ、ありきたりなセリフ。なんてありきたりな。しっかりした身体って自分と同じだ。自分もそう言われて大きくなった。
 赤ちゃんが自分に向かって手を伸ばしてる。そっと人差し指だけさしだすと、赤ちゃんが自分の指をぎゅっと握った。
 
 夢か。
 これは夢か。
 動きたい。お腹がすいてる気がする。何か食べたい。水分取らなきゃ。トイレも行かなきゃ。
 でもさっき死ぬとか消滅とか話をしてたような。
 ああ、赤ちゃんがいる。
 生まれたての赤ちゃんって手を伸ばせたっけ。
 だから夢。
 でもどうして自分が死ぬって思ってるのに自分の考えがこうやって続いてるの?
 赤ちゃんが泣いてる。
 
 「「お腹がすいた!」」

 

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 思いつくままを垂れ流す感じですが、ふっと浮かんだのでメモ的に書き出してアップしてみました。いつもこんな感じでぐちゃぐちゃに考えが湧いては消えて沸いては消えていくんです。誤字脱字あると思いますが面倒なのでこのままで。

終活万博(あくまで個人的妄想)

 誰しも死を逃れることはできない。
 かつては「姥捨て山」という考えがあったが、子供世帯と縁が薄くなった現在、誰が死という山に自分を捨ててくれるのか。ならば自分で死という山へ登って行くしかないのではないだろうか。
 そして、死の山にはどのようなものが有るのか、最先端技術は終活においてどんな益をもたらしてくれるのか。
 その事に焦点を置いたのが「終活万博」であった。

 介護ロボットは各国のロボット技術を見せる意味でも力が入った展示となった。人間味をあえて外しているものから、人間に限りなく近い姿形を持ったものまで各国のパビリオンで来館者の注目を集めた。人間の介護スタッフを支援する……例えば被介護者を持ち上げたり器具を運搬をしたり、被介護者の徘徊を防ぐ為の見守り付き添いをする支援ロボットも話題になった。
 寝たきりの介護から、散歩や買い物や家事を支援するものまで様々な種類のものがあった。1970年の万博に出品された「人間洗濯機」がスタッフに重労働を強いること無く被支援者を快適に入浴させるための器具として生まれ変わって出品され、人間洗濯機を知っている人達は興味深く見ていたという。

 「老人の性」についても取り上げられた。身体能力が低下しても性欲はあるという事、福祉スタッフが性被害に遭う問題。それらを解決するため、様々な機能に柔軟性を持たせたというセックスロボットが展示された。会期中そのロボットについては賛否両論が起きた。出品国はむしろ話題になることで「身体弱者と性」の問題に人々が向き合うことを期待しているというコメントを出した。

 食事についても各種出品された。最後まで美味しい生活をという事で、施設が導入維持しやすく、なおかつ被介護者の食事の喜びを満たするという難題に取り組んだ結果が各国パビリオン付属のレストランなどで提供された。胃ろうになりたくないという人達からは「家庭の味が再現できたら」「同居や面会に来た家族も一緒に楽しめるものを」という声があったという。変わった意見として「子供の頃の給食を再現して欲しい」というのもあった。子供の頃体験したことをもう一度体験することで自らの活性化を期待したいのだろう。

 一軒家から集合住宅までシルバー向け施設のモデルハウスはかなりの待ち時間ができるほどの人気であった。24時間側にいてくれる支援ロボットや定められた時間に様子を見に来る人間のスタッフに支えられながら生活可能な、比較的健康な人達に向けての物件だ。
 廃業したゴルフ場を再開発し、設備の整った病院とシルバー向け物件、バリアフリーの多用な商業や娯楽、スポーツ施設(ゴルフ場の一部も再利用される)を一つにした計画はスポーツに関心のある人達の興味を引いた。
 
 同じ趣味を持つ人達が集まる独身向けセミ・シルバー施設もアニメファンなどの「オタク」達の興味を引いた。集団生活が苦手な人達向けに、本格的なホームに入居する前に集団生活に少しでも慣れることが出来ればという声が集まって、実験的に小型施設が作られ、そこでどのような日々を送っていくのかなどのパネル展示、入居者の声、入居者が使っている部屋の複製や施設全体の模型が展示された。ここでも人間のスタッフ以外にロボット達の支援、スマート家電などが活躍している。また、「自分が亡くなった後、自分のコレクションをどうするか」や「自宅から入居にあたりコレクションを見直したい」などの要望に、コレクションを扱う業者やトランクルーム業者、引っ越し業者や部屋の片付けを手伝う業者など様々な業者がアドバイスに乗ってくれるという点も興味を引いた。あの世まで持って行けるなら持っていきたいがそうもいかない……でもどうすれば。と独りで考え途方にくれている人が入居前にじっくり話し合う事ができるという。そのサービスだけ利用する人も居たそうだ。だが、入居にかかる費用は安くないことから、ライト層では利用できないねという声もあり、また、趣味が似ているからこそこだわりがあり、趣味が原因で他の入居者ともめそうで怖いという声もあった。そのため、このムーブメントが広まるかは難しいという声が多い。

 セミ・シルバー施設としては他に「職人の町計画」というのもあった。技術を伝えたい人と技術を学びたい人をマッチングしたいという、個人から小企業向けの施設だ。若い人に来て欲しいが、徒弟制度に近い勤務かつ生活するには厳しい賃金しか出すことが出来ずなかなか技術伝承がおこなわれないことが問題になっている。国や民間企業の支援を受けつつ、できる限り「師匠」と「弟子」が一カ所に集まることで生活にかかる費用の低減は図れないだろうか、異業種交流はどうか、などの点が示されている。夢物語すぎると呆れる人達もいたが、資金など支援を受けて生活できるのなら一考したいという声もあった。こればかりは支援団体が乗り出すことを待つ他ない。

 その他にも、グループで都市部から各地へグループで移住する様々なプランも展示された。例えば、夫婦だけで慣れぬ土地に移住したものの、その土地になじめず、現地の人も受け入れてくれないという問題がある。ならば、地方に「都市から地方へ組」向けの新たな移住地を開発し、まずは彼らのみのゆるやかな共同体を作るのはどうかという地方自治体からの提案である。直接、既に構築されている地方コミュニティにダイブするのではなく、ワンクッション置くという事だ。これについては「都市部での生活の延長にしかならないのではないか」「オシャレな地方暮らしではなく、移住した土地にしっかりと向き合いたい」という声が上がった。

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 大阪万博開催決定のニュースを聞いた数日後、ふと浮かんだ単語が「終活万博」でした。健康や医療がテーマだからだったのでしょう。
 しかし「死」や「死にゆく人」についてハッキリとした展示がどこまでできるのだろうか? と考え、まずは介護や入居施設のアイデアからパラパラと書き出してみました。
 ちなみに、火葬~散骨までを凄くドライに考えた文章は既に書いています。が、いきなり死んじゃった後の事を書いても「終活」っぽくないので、まずはササッと読み流せる分量で区切ってアップしようと思いました。
 
 上記で書いたアイデアは既に現実となっているものもあるかもしれません。福祉や医療ニュースはTwitterのTLやネットのニュースなどで目に付いたものはできるだけ読むようにしていますが、それでも限界があります。既出の場合申し訳ありません。
 また、費用などの面で今の時点では実現不可能なものも出しています。これは、自分が筑波科学博のパビリオンで体験した事全てが科学博終了後に実現した訳ではないという事を前提として書いています。
 けど……かなりのものが実現しましたよね。凄いと思います。
 
 ロボット技術が介護に大きく貢献して欲しいというのは自分の我が儘な願いです。現在自分は一人暮らし。生活支援スタッフに来てもらうこともありますが、事前に計画を出さないといけないこともあり、自分の精神病の気まぐれさもあって不便さを感じています。そこで、24時間側で静かに見守ってくれたり、外出時に側に居てくれるロボットがいてくれたらなぁとSFファン的に思っています。

 Twitterに書きましたが、今年の半ばに浴室で足許にこぼれたボディーソープで滑ってあやうく転倒しそうになりました。ユニットバスによくある洗面台と浴槽のへりを掴んで難を逃れましたが……賃貸なので手すりをつけることもかなわず、その後シャワーは慎重に入っています。
 50歳ですがヒキコモリ生活もあって体力は低下しています。被介護や孤独死は今の自分にとって他人事ではありません。でも、24時間好きなときに福祉スタッフに来てもらえる訳でもなく、ましてや風呂で滑りそうな時に助けてと言っても独居の風呂に響くだけ。
 その為、ヘルパーロボ開発は自分にとって切実な願いなのです。

 もう少しネタを書きためたらアップするかも……または、火葬~散骨の話だけでも次回アップしたいと思います。