小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

目的意識をもって行動すること

 100均ショップで買い物をするにしても、一人50万かかる海外旅行に行くにしても、目的がしっかりしていなければ、無駄遣いにしかならない。「経験」も「貯蓄」も、目的を明確にする事が大切だと思う。

 「何故生きる?」
 昔から多くの人々が悩んできた事だと思う。
 「人力検索はてな」でも、10代の方からのこういった質問が時折ある。

 今の自分だと「学ぶため。死ぬ前の最後の一呼吸をするまで、学ぶため」という感じ。

 学ぶだけでなく、何かを体験するにはお金が必要だったりする。無料で体験出来るものもあるだろうけれど、交通費や食事代などが掛かるとすれば完全に無料とは言えないだろう。
 仕事を通じて学ぶことは多々あって、それは収入に繋がるけれども、お金ではなく「自分の労力や精神力」というのをある意味「支払って」得ているものだと考える事も出来る。

 「鋼の錬金術師」の有名なセリフ、「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない 何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる」というのは非常にいいセリフだと思う。

 そして、自分はそれに「しっかりと目的を定め、貪欲に学ぶ視線を保って動くならば、どんな事柄からも学ぶことが出来る」というのと付け加えたい。

 お金を貯める課程、お金を使う課程、経験する間、その経験をするための準備の間……学ぶ心をしっかり持っていれば、今は苦しくとも、後々、「やってよかった」と思えると自分は思う。
 そして、学び取った事を、後に続く人達に伝えていくことも大事な事だと同時に思っている。

◆若い頃は経験すべき?それとも貯金すべき? - 教えて!ウォッチャー - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/watcher/entry/a2c4758a6e138af96de5ae7f1c23b52b/

アニメを止めても報道は続いている

 ◆アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版」の第4話が、放送見送りに - Scoopie News - GREE ニュース

 この記事をmixiニュースでみて、またかぁ……と嘆息。アニメ版School Daysの最終話が放送されなかった事(School Days (アニメ) - Wikipedia:5.1 最終話の放送休止参照)を思い出しました。それで、つらつらと。

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 「事実は小説より奇なり」という。まさにその通りだ。いくらフィクションを規制しても、メディアがどんどん猟奇殺人について報道し、関係者の身辺を根掘り葉掘り聞き出し晒していく。
 子供に与えた携帯やスマホでポルノやグロ系サイトなどはフィルタリングで防げるけれども、こういうことを書いているページはフィルタリングされないと思う。2chだってそう。だったら同じ。

 「津山30人殺し」と検索すれば事件内容が細々と書かれたページがでる。そういう残虐な事件のエピソードを集めたサイトは沢山あるし、概要ならウィキペディアにも掲載されている。
 
 完全自殺マニュアルが一時期撤去された事があるけれど、今はシュリンクで包まれて販売されている。他にも、猟奇殺人犯やそういう犯罪についての 本、拷問の本……様々な本がある。サブカル系だけじゃなく、文化系のひとつのジャンル本としても。図書館に収蔵されているものもある。

 「Nice boat事件」もそうだけど、アニメのひとつのエピソードを止めても、影響は微々たるものとしか思えない。ワイドショーが根掘り葉掘りした事を大げさに編集してTVで流すのを止める方がよほどいい。
 
 良い知識も悪い知識も、インターネットで簡単に検索出来てたどり着けてしまう。大切なのは、情報を隠すことでは無く、それらの情報を見ても動揺せず、「自分の中にフィルターを構築する」事ではないだろうか?
 悪い情報や誘いを受けても、毅然として断ることができ、自分を律することができる事。
 それが今の老若男女に必要な事ではないだろうか。

 教育は大学卒業で終わるのではない。死ぬ時、最後の一呼吸まで続くと自分は思っている。
 情報を鵜呑みにせずよく吟味することや、ワイドショーの「根掘り葉掘り報道」ようなゲスいものにサヨナラする気持ちを持って欲しいと自分は思っている。

 LINEやtwitterで流れてきたり、2chで立ったスレを、事実かどうか吟味せず即鵜呑みにして拡散する…… 確かに自分も「釣り」に 引っかかったりするけれど、基本的にネットの情報というのは「話半分」と考えているし、自分の実体験、出来るだけ確かなソースにあたることが重要と思って いる。

 メディアの人達よ、ワイドショーやそういう話題のページは大人だけが見るもので、アニメは子供だけが見るものだという考えをすっぱり止めるべきだ。
 
 まず、大人が賢くなり、自らの行動を律し、心が揺れる10代を導いてあげなければならないと思う。
 今回のケースは複雑な家庭事情もあると思う。学校レベルから、各種相談機関(こども人権11番、チャイルドライン等)が、そういう「揺れている 子供達」をサポートする体制をもっと整えるべきだと感じる。また、子供達にも、「こころは揺れるものであり、不安に感じたらここに相談してみては」と周知 させることや、精神疾患について隠さずに保健体育にの時間で説明してもいいのではと思う。勿論、子供を動揺させたりしないよう、最大限の配慮は必要だと思 う。

 精神疾患について説明すれば、軽い気持ちで「メンヘル」という単語を使うことは減るのでは……と少し思ったりもする。そんな軽い、ジョーダンみたいな単語で済まされない事なのだと。

 100%の子供を救うことはできないかもしれない。しかし、子供のメンタルヘルスサポートを充実させることで、最悪の結末を少しでも無くすことは出来るのではないか、と個人的に感じる。

今期アニメちょっと見たけど

 前期は「ノーゲーム・ノーライフ」が一番お気に入りでした。原作イラストの主線をアニメでも上手く使ってるなぁと感心。それよりなにより嗚呼縞パン縞パン縞パン縞パン(ry 

 その次はチャイカでした。既刊分の半分以上を1期で消化して、2期分は数巻分しかないみたいなんですが大丈夫かなとちょっと心配。しかし、省略されている部分が気になるので原作さがしてみますかねー

 さて今期始まりましたが……あえて作品名伏せるw 

A) 新編集ということで何か違いがあるのか分からないんですが、物語的に変化がないのであればスルーかな。

B) 原作をある程度読んでいるので続きで。対物ライフルっ娘がどう動くのか楽しみ。でも、出来ればガン=カタしてほしかったな、主人公…… でもあれを小説で描くのは難しいかな? 多分今期の安牌かと。

C) 冒頭の施設が一体何なのか分からない。作画がすごいのは分かるけど、脚本とか設定の部分で損してると思う。大学生で良かったのでは? あと、ビバップの天国の扉で、タンクローリーが大爆発する位に都庁を吹っ飛ばして欲しかった。 // 2chのスレで「太陽を盗んだ男」と村上氏の著作がテンプレ的に上がってたけど、自分は男2人とメガネ繋がりでなんとなく「サンクチュアリ」を思い出した。 // 3~4話位まで見て、詰め将棋? やってたおっちゃんの動きが良かったらおっちゃんの為だけに見るかも。

D) もうBBAだから、ハイティーンの恋愛不思議系物語はついて行けない。背景はすごく綺麗だけれど、キャラが首だけ動かして後ろを見る時にデッサン狂ってるとか、イマドキでかいリボンついたカチューシャしてる娘がいるのだろうか、室内でスマホ通話のとき、家電の受話器みたいに手をそえるのは少し不自然かもとか細かい所をついついホジりたくなってしまう。自分はダメな人間になってしまったと自覚してしまった。

E) 2chのアンチスレにあった「後出し兄貴」というのがツボった。設定の細かさで境ホラと競い合う部分あるかなと感じる。境ホラはノリで楽しめる部分があるけど、周到生の「他の生徒と異なる方向性でバカ強い」所で萎えてしまう。境ホラと監督が一緒だけど、脚本とか制作スタッフの違いでここまで差が出るのか、それとも下地か、と少し悩んだ。

F) 今一番「(゚Д゚)」状態。 ほっそくてペラペラなジャッキを人力でヘコヘコするだけで機関車があれだけの高さまで上がっちゃうとか、全身義体化してのかと思わせる女子高生がウルトラCで風船つかんだり拳銃片手で撃つとか、むやみやたらに乳アングル、乳ネタをバンバン入れるとか、ツッコミ処満載でもうダメ。投炭訓練は蒸気機関車全盛時代みたいに、ずらりとならんだ練習場で教官がストップウオッチ片手に少年が黙々とがんばるというのでないと認めたくない(以前、鉄道系記録映画で見た)。あと、ピーピープー系な出版社がこの作品で救済されているのではとゲスい笑いをしたりもする。

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 他にもありますが、学園系とか「女子系ゆるふわ」とあらかじめわかってるものは最初から見ないので…… D)もそういう意味では「自分的に地雷踏んだ」って感じ。多分もう見ないです……

 20代前半の社会人やニートとかをメインキャラに据えて、痛いほどに「お前ら」状態で視聴者を苦しめるという、誰得なアニメとかないですかね? それとか、新婚が義理両親ともめたりという発言小町とかのドロドロなノリととか。美しい背景やそれなりのキャラデザで痛いほど現実ドロドロ。くははははw

That's why the BBA is a tramp

 シナトラ氏の曲は好きな物が多く、この曲もそのひとつ。

 ふと、歌詞がどうなっているか検索してそれを読んでいたら……変な事を考えてしまい、思わず改変して遊んでしまいました。


Frank and Ella - Lady Is a Tramp - YouTube

元々の歌詞はこちら。

Frank Sinatra - The Lady Is A Tramp Lyrics | MetroLyrics
http://www.metrolyrics.com/the-lady-is-a-tramp-lyrics-frank-sinatra.html

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I get too hungry for dinner at ten
I like the netgames and never bet Gacha
I never bothers what plyers get
That's why the BBA is a tramp

Doens't like netgames with barons or earls
Won't go to instance dungeon in  Excalibur and Aigis
Let't through the event which the'r engrossed
That's why the BBA is a tramp

I likes the free fresh wind through my head,
Life without care
Oh, I'm so broke!!!!!!
I hates BIGcity, it's crowded and damp
That's why the BBA is a tramp

I get too hungry to wait for dinner at two,mid-night
I love post twitter, but never get fav
I never bother with people what retweet
That's why the BBA is a tramp

I loves the free fresh wind through my head
Life without care. I'm broke but it's ok
Hates BIGcity, it's so crowded and so jammed
That's why the BBA. that's why the BBA
That's why the BBA is a tramp……

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 まあ、BBA=自分がネトゲやって、貧乏で、都市はごちゃごちゃしてて嫌いって感じです。装備もこれといったものはないし、ガチャもやらないとか。で、夜の10時頃と夜中の2時頃にお腹がすくとかw

 それと、現在丸坊主にしちゃってるので(爆)、元の歌詞だと「心地よい風が髪をふわりとさせる」となってるのを、「頭を通り過ぎる」にしてたり。

 ……分かっているんだけど、バカだな、自分w

 

 ちなみに、trampっていうのは放浪とか、ふらふらするという意味。一つ所に落ち着かない自分にふさわしい単語。うん。

耳を切り落としたゴッホの自画像

 1、ゴッホの自画像についてのあなたの感想および意見・感想を書.. - 人力検索はてな
 http://q.hatena.ne.jp/1403774719#comment 

 という、ゴッホの自画像について感想を求めている質問があったので、コメントに書いてみました。コメント欄に書いたものに少し手を入れました。

 ゴッホの絵は、すごい値段がついている事というのが大嫌いで……特に、バブルの頃は投機対象のような扱いを感じたので、その部分でネガティブな印象はあります。しかし、こころの病気を患っていた事、自分が大好きなオランダの出身者であること(自分は今でも、跳ね橋のイラストや写真を見ると胸が懐かしさで一杯になります)、下でも触れている「耳を切り落とした自画像」のインパクトなどがあり、大嫌いではありません。むしろ、そっとしておいてあげてほしいというか、投機対象とかにしてあげないでほしいという気持ちです。

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 ゴッホの肖像画の中で一番記憶にあるのは耳を切り落とした後の自画像ですね。

 耳を切り落とした自分を絵として残す。
 周囲の人へのメッセージとして描いたというよりも、耳を切り落としたという極限まで追い詰められた精神のはけ口として描くしかなかった、そしてこのときの自分の気持ちの高ぶりを忘却してはいけないと描いた時点で思ったのではと自分は感じるのです。
 後日、この絵をゴッホはどういう気持ちで見たかは分かりません。描いた後二度と見なかったかもしれないし、時折見ては何か考えたかも知れません。耳に包帯を巻いている肖像画が複数あることから、多分、絵は見直さなくても、耳を切り落とした一件についてはゴッホは生涯心の中に生々しい記憶として抱えていたのではと感じます。伝記を読めば何かその点について記載があるのでしょうか……

 「耳切事件」の概略を読みましたが、やはり、ゴーギャンに伝えたいために描いたとは感じられないのです。確かに、カミソリを持ってゴーギャンを追いました。しかし、事実は、カミソリはゴーギャンに向けられず自身の耳に向けられ、切った耳は道に捨て置かずに娼婦に届けます。その「耳を捨て置かなかった」事すら、感情を吐いたとしても「過去」という箱に捨ててしまうことが出来ないゴッホの性(さが)が出ているのだと感じるのです。

 ゴッホの孤独。
 友達や家族とともにいても強い孤独を感じてしまう人だったのでしょうか。社交辞令や軽いお付き合いの中で交わされる軽い会話、知らない人からのほほえみから、友達や家族と囲む食卓や何気ない会話という親しい方との暖かな時間でさえも、ほんの少しのトゲを見つけてしまうと気になって気になって気になってしょうがなくなり、その後その方達とのつきあいを一切合切拒否する人だったのでしょうか。

 そういう拒否拒絶と悲しみを感じる一方で、人々との絆や自然の美しさへの憧れも心のなかに同居していたのかもしれません。
 
 自分は人間関係の構築、維持が困難です。人混みが苦手。うるさいのも大嫌い。地下鉄で隣に誰かが座っていると身体が震えるほどです。だけど、人と親しくしたい。人と楽しい時間を送りたい。そういう相反する気持ちがあります。

 自分の心の中で炎がゴウゴウと雄叫び、氷塊がうねる。相反するものが同居する。
 真反対な気持ちに挟まれてどうすれば分からず、翻弄される苦しみ。エヴァでリツコさんが言っていた「ハリネズミのジレンマ」かもしれません。

 こころの病気を持っている自分はよく「こころの病気はなってみないと分からない」と書いています。
 ゴッホも、自身の中にある巨大な炎と氷に翻弄される苦しみを伝える事が難しく、辛くて苦しかったのではと思うのです。
 
 ゴッホの絵は現在大きな評価を得ています。色々な方が色々な気持ちで見ていると思います。
 ただ、自分は、やはり、ゴッホが複雑な気持ちを抱きながら絵を描いていたのではと、悲しい気持ちになってしまうのです。

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07/13追記 この質問キャンセルになってしまいました。他の方のご意見も読んでみたかったのですが……残念です。

LINEって、デメリットのほうが多くないだろうか?

 自分はLINEを使っていないので詳しい事はわからないんですが。
 しかし、インターネットが普及していくのを肌で感じた世代であり、人と人が直で会ったり、最低でも電話で話さないとコミュニケーションとれな かった時代からメールなどで気軽に連絡をとれる時代へ変わっていき……その弊害について警鐘を鳴らしている人の話をちょっと見たりしてきました。
 LINEは現在、「直で会話する」ことから一番遠く離れたコミュニケーション手段かなと自分は感じるのです。

 確かにデメリットのほうが耳目をひくので強調されているのかも知れません。
 しかし、「既読スルーでケンカになった」というのはネットでよく見ますし、せめて、既読かどうか分からなくするだけでも変わるのではと。
 そうするとLINEの特性が失われるという人もいるかもしれませんが。

 また、18歳未満はID検索できなくしているということですが、ネット上ではLINEのIDを書き込んで友達募集という掲示板があります。援助交際の温床としてのLINEの側面は断ち切れていません。

 自分は自分の人生経験から「最大の危機に備えるべき」と考えます。
 LINEを使う事のメリットよりデメリットのほうが大きいなら使うのを控えるか、代替できるアプリを探すべきだと感じます。

 むしろ、他のアプリ開発者/メーカーがLINEのデメリットを出来るだけ少なくしたグループアプリを開発して欲しいと感じますね。

 これだけは妻にやめてほしいことTOP10 [夫婦関係] All About :
 http://allabout.co.jp/gm/gc/443101/

 の中にも夫が関知しないLINEグループに参加してほしくないというのがありますし、家族同士の連絡さえLINEですませてしまうというのは、あまりにも悲しい状態なのでは。
 これが平成世代のありかたなのでしょうか。
 
 自分が子供の頃は、学校からは連絡帳があったり、クラスのグループで日記をまわしてそれを担任が赤でメッセージ入れたりありました。夕食の支度をする母に学校での出来事を話したり、夕食時に父がニュースを見ながら色々世の中の事について話をしてくれました。
 そういう風景はもう少なくなって絶滅していくのでしょうか。

 イントネーションや感情、表情、ジェスチャー……言葉以外のコミュニケーションは非常に大事なのに、それが失われていくのは寂しい事だと思います。

 コミュニケーションを電子機器に頼りすぎることに危機感を覚えます。
 言いたくても言えない、言葉に出来ない。だけれど、仕草などが訴えている……それを察知する能力はどんな世代、どんな時でも大切だと自分は思います。
 特に大人が子供に接する時は。

 直で話をしようよ。
 笑って泣いて、身振り手振り加えて。言葉に詰まったときは、ぎゅっと相手の手を握ろうよ。

 そう思うのです。

ワロタ // 葬式のこと // 田舎のじーちゃんとか

 そっかー。あのおじーちゃん亡くなってしまわれたんだ……

 【訃報】DASH村「農業の達人」三瓶明雄さん死去…84歳★2

13 名前:名無しさん@0新周年@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/06(金) 23:39:11.66
さらば~この世よ~旅立つ船は~檜造りの~お棺
宇宙の彼方~十万億土、戒名背負い今旅立つ
必ず盆に~帰ってくると~遺族の皆に~笑顔で応え
この世を離れ~極楽浄土、はるばるのぞむ~ホール斎場焼き場

合掌

 ワロタ。ヤマトのOPは、アニメのMADテープで笑いまくったクチなんだけど、この歌詞は初見かも。そだねえ。宇宙にドドンと旅立つ、いいよねえ! で、盆にはちゃーんと戻って来るという。

 そうそう。父の時はお寺でタタミ=正座でしんどかったんですけれど、母の葬儀は葬儀社のホールだったんですよね。パイプ椅子で楽でした。家族控え室も綺麗で。まあ、眠れませんでしたけれどね。

 大阪市バスや地下鉄に乗ってると、家族葬の広告が貼ってあったりします。お返しのこととか色々考えると、家族近隣親戚だけでというのも良いかもしれないですね。結婚と違って「いつ起きるか分からない」事で費用が幾らかかるか分からないし、お付き合いのある方にも来ていただくと色々大変ですから。

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 さておき、先日、カレーの方で、「TOKIO鎮守府」の話を書いただけに、ちょっと寂しいです。田舎の農家のおじーちゃんというと、山も管理してたりするから、田畑の事だけでなく、修繕や伐採、熊や猪などの山の動物のこと、なんか色々出来て、しかも体力がめっちゃあるという印象を個人的に持っています。自分の両親は郷里の地の人じゃあないんで、そういうおじーちゃんが親戚にはいませんが、知人のおじーちゃんの話とか聞くとね。

 前居所に居る頃からTVは段々見なくなり、大阪に来るときはTVナシ、今もナシなので、詳しく覚えてはいませんが、TOKIOの皆さんとじっくり村の作業に取り組んだという印象があります。実家の側が田んぼだったんで、農作業の大変さは目で見るだけではありましたが、それでも大変なものだと感じています。他の仕事の間を縫ってDASH村で作業する都会育ち? の青年達を最初はどう受けとめたのかは分かりません。しかし、3.11が起きるまでのDASH村で作り上げたものを見れば、TOKIOの皆さんと番組スタッフ、そしてあの村に関わった「田舎のじーちゃんばーちゃん」の皆さんが良好な関係を築いていたのだろうと自分は感じるのです。前居所を離れる頃はほとんど見てなかったので分からないのですが、自分が記憶している限り、囲炉裏で鍋を囲んでいる姿は楽しそうだったなと思いました。

 「島、がんばれよ」と三瓶氏はTOKIOや番組スタッフを見守って下さるでしょう。