小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

今期アニメちょっと見たけど

 前期は「ノーゲーム・ノーライフ」が一番お気に入りでした。原作イラストの主線をアニメでも上手く使ってるなぁと感心。それよりなにより嗚呼縞パン縞パン縞パン縞パン(ry 

 その次はチャイカでした。既刊分の半分以上を1期で消化して、2期分は数巻分しかないみたいなんですが大丈夫かなとちょっと心配。しかし、省略されている部分が気になるので原作さがしてみますかねー

 さて今期始まりましたが……あえて作品名伏せるw 

A) 新編集ということで何か違いがあるのか分からないんですが、物語的に変化がないのであればスルーかな。

B) 原作をある程度読んでいるので続きで。対物ライフルっ娘がどう動くのか楽しみ。でも、出来ればガン=カタしてほしかったな、主人公…… でもあれを小説で描くのは難しいかな? 多分今期の安牌かと。

C) 冒頭の施設が一体何なのか分からない。作画がすごいのは分かるけど、脚本とか設定の部分で損してると思う。大学生で良かったのでは? あと、ビバップの天国の扉で、タンクローリーが大爆発する位に都庁を吹っ飛ばして欲しかった。 // 2chのスレで「太陽を盗んだ男」と村上氏の著作がテンプレ的に上がってたけど、自分は男2人とメガネ繋がりでなんとなく「サンクチュアリ」を思い出した。 // 3~4話位まで見て、詰め将棋? やってたおっちゃんの動きが良かったらおっちゃんの為だけに見るかも。

D) もうBBAだから、ハイティーンの恋愛不思議系物語はついて行けない。背景はすごく綺麗だけれど、キャラが首だけ動かして後ろを見る時にデッサン狂ってるとか、イマドキでかいリボンついたカチューシャしてる娘がいるのだろうか、室内でスマホ通話のとき、家電の受話器みたいに手をそえるのは少し不自然かもとか細かい所をついついホジりたくなってしまう。自分はダメな人間になってしまったと自覚してしまった。

E) 2chのアンチスレにあった「後出し兄貴」というのがツボった。設定の細かさで境ホラと競い合う部分あるかなと感じる。境ホラはノリで楽しめる部分があるけど、周到生の「他の生徒と異なる方向性でバカ強い」所で萎えてしまう。境ホラと監督が一緒だけど、脚本とか制作スタッフの違いでここまで差が出るのか、それとも下地か、と少し悩んだ。

F) 今一番「(゚Д゚)」状態。 ほっそくてペラペラなジャッキを人力でヘコヘコするだけで機関車があれだけの高さまで上がっちゃうとか、全身義体化してのかと思わせる女子高生がウルトラCで風船つかんだり拳銃片手で撃つとか、むやみやたらに乳アングル、乳ネタをバンバン入れるとか、ツッコミ処満載でもうダメ。投炭訓練は蒸気機関車全盛時代みたいに、ずらりとならんだ練習場で教官がストップウオッチ片手に少年が黙々とがんばるというのでないと認めたくない(以前、鉄道系記録映画で見た)。あと、ピーピープー系な出版社がこの作品で救済されているのではとゲスい笑いをしたりもする。

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 他にもありますが、学園系とか「女子系ゆるふわ」とあらかじめわかってるものは最初から見ないので…… D)もそういう意味では「自分的に地雷踏んだ」って感じ。多分もう見ないです……

 20代前半の社会人やニートとかをメインキャラに据えて、痛いほどに「お前ら」状態で視聴者を苦しめるという、誰得なアニメとかないですかね? それとか、新婚が義理両親ともめたりという発言小町とかのドロドロなノリととか。美しい背景やそれなりのキャラデザで痛いほど現実ドロドロ。くははははw

That's why the BBA is a tramp

 シナトラ氏の曲は好きな物が多く、この曲もそのひとつ。

 ふと、歌詞がどうなっているか検索してそれを読んでいたら……変な事を考えてしまい、思わず改変して遊んでしまいました。


Frank and Ella - Lady Is a Tramp - YouTube

元々の歌詞はこちら。

Frank Sinatra - The Lady Is A Tramp Lyrics | MetroLyrics
http://www.metrolyrics.com/the-lady-is-a-tramp-lyrics-frank-sinatra.html

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I get too hungry for dinner at ten
I like the netgames and never bet Gacha
I never bothers what plyers get
That's why the BBA is a tramp

Doens't like netgames with barons or earls
Won't go to instance dungeon in  Excalibur and Aigis
Let't through the event which the'r engrossed
That's why the BBA is a tramp

I likes the free fresh wind through my head,
Life without care
Oh, I'm so broke!!!!!!
I hates BIGcity, it's crowded and damp
That's why the BBA is a tramp

I get too hungry to wait for dinner at two,mid-night
I love post twitter, but never get fav
I never bother with people what retweet
That's why the BBA is a tramp

I loves the free fresh wind through my head
Life without care. I'm broke but it's ok
Hates BIGcity, it's so crowded and so jammed
That's why the BBA. that's why the BBA
That's why the BBA is a tramp……

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 まあ、BBA=自分がネトゲやって、貧乏で、都市はごちゃごちゃしてて嫌いって感じです。装備もこれといったものはないし、ガチャもやらないとか。で、夜の10時頃と夜中の2時頃にお腹がすくとかw

 それと、現在丸坊主にしちゃってるので(爆)、元の歌詞だと「心地よい風が髪をふわりとさせる」となってるのを、「頭を通り過ぎる」にしてたり。

 ……分かっているんだけど、バカだな、自分w

 

 ちなみに、trampっていうのは放浪とか、ふらふらするという意味。一つ所に落ち着かない自分にふさわしい単語。うん。

耳を切り落としたゴッホの自画像

 1、ゴッホの自画像についてのあなたの感想および意見・感想を書.. - 人力検索はてな
 http://q.hatena.ne.jp/1403774719#comment 

 という、ゴッホの自画像について感想を求めている質問があったので、コメントに書いてみました。コメント欄に書いたものに少し手を入れました。

 ゴッホの絵は、すごい値段がついている事というのが大嫌いで……特に、バブルの頃は投機対象のような扱いを感じたので、その部分でネガティブな印象はあります。しかし、こころの病気を患っていた事、自分が大好きなオランダの出身者であること(自分は今でも、跳ね橋のイラストや写真を見ると胸が懐かしさで一杯になります)、下でも触れている「耳を切り落とした自画像」のインパクトなどがあり、大嫌いではありません。むしろ、そっとしておいてあげてほしいというか、投機対象とかにしてあげないでほしいという気持ちです。

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 ゴッホの肖像画の中で一番記憶にあるのは耳を切り落とした後の自画像ですね。

 耳を切り落とした自分を絵として残す。
 周囲の人へのメッセージとして描いたというよりも、耳を切り落としたという極限まで追い詰められた精神のはけ口として描くしかなかった、そしてこのときの自分の気持ちの高ぶりを忘却してはいけないと描いた時点で思ったのではと自分は感じるのです。
 後日、この絵をゴッホはどういう気持ちで見たかは分かりません。描いた後二度と見なかったかもしれないし、時折見ては何か考えたかも知れません。耳に包帯を巻いている肖像画が複数あることから、多分、絵は見直さなくても、耳を切り落とした一件についてはゴッホは生涯心の中に生々しい記憶として抱えていたのではと感じます。伝記を読めば何かその点について記載があるのでしょうか……

 「耳切事件」の概略を読みましたが、やはり、ゴーギャンに伝えたいために描いたとは感じられないのです。確かに、カミソリを持ってゴーギャンを追いました。しかし、事実は、カミソリはゴーギャンに向けられず自身の耳に向けられ、切った耳は道に捨て置かずに娼婦に届けます。その「耳を捨て置かなかった」事すら、感情を吐いたとしても「過去」という箱に捨ててしまうことが出来ないゴッホの性(さが)が出ているのだと感じるのです。

 ゴッホの孤独。
 友達や家族とともにいても強い孤独を感じてしまう人だったのでしょうか。社交辞令や軽いお付き合いの中で交わされる軽い会話、知らない人からのほほえみから、友達や家族と囲む食卓や何気ない会話という親しい方との暖かな時間でさえも、ほんの少しのトゲを見つけてしまうと気になって気になって気になってしょうがなくなり、その後その方達とのつきあいを一切合切拒否する人だったのでしょうか。

 そういう拒否拒絶と悲しみを感じる一方で、人々との絆や自然の美しさへの憧れも心のなかに同居していたのかもしれません。
 
 自分は人間関係の構築、維持が困難です。人混みが苦手。うるさいのも大嫌い。地下鉄で隣に誰かが座っていると身体が震えるほどです。だけど、人と親しくしたい。人と楽しい時間を送りたい。そういう相反する気持ちがあります。

 自分の心の中で炎がゴウゴウと雄叫び、氷塊がうねる。相反するものが同居する。
 真反対な気持ちに挟まれてどうすれば分からず、翻弄される苦しみ。エヴァでリツコさんが言っていた「ハリネズミのジレンマ」かもしれません。

 こころの病気を持っている自分はよく「こころの病気はなってみないと分からない」と書いています。
 ゴッホも、自身の中にある巨大な炎と氷に翻弄される苦しみを伝える事が難しく、辛くて苦しかったのではと思うのです。
 
 ゴッホの絵は現在大きな評価を得ています。色々な方が色々な気持ちで見ていると思います。
 ただ、自分は、やはり、ゴッホが複雑な気持ちを抱きながら絵を描いていたのではと、悲しい気持ちになってしまうのです。

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07/13追記 この質問キャンセルになってしまいました。他の方のご意見も読んでみたかったのですが……残念です。

LINEって、デメリットのほうが多くないだろうか?

 自分はLINEを使っていないので詳しい事はわからないんですが。
 しかし、インターネットが普及していくのを肌で感じた世代であり、人と人が直で会ったり、最低でも電話で話さないとコミュニケーションとれな かった時代からメールなどで気軽に連絡をとれる時代へ変わっていき……その弊害について警鐘を鳴らしている人の話をちょっと見たりしてきました。
 LINEは現在、「直で会話する」ことから一番遠く離れたコミュニケーション手段かなと自分は感じるのです。

 確かにデメリットのほうが耳目をひくので強調されているのかも知れません。
 しかし、「既読スルーでケンカになった」というのはネットでよく見ますし、せめて、既読かどうか分からなくするだけでも変わるのではと。
 そうするとLINEの特性が失われるという人もいるかもしれませんが。

 また、18歳未満はID検索できなくしているということですが、ネット上ではLINEのIDを書き込んで友達募集という掲示板があります。援助交際の温床としてのLINEの側面は断ち切れていません。

 自分は自分の人生経験から「最大の危機に備えるべき」と考えます。
 LINEを使う事のメリットよりデメリットのほうが大きいなら使うのを控えるか、代替できるアプリを探すべきだと感じます。

 むしろ、他のアプリ開発者/メーカーがLINEのデメリットを出来るだけ少なくしたグループアプリを開発して欲しいと感じますね。

 これだけは妻にやめてほしいことTOP10 [夫婦関係] All About :
 http://allabout.co.jp/gm/gc/443101/

 の中にも夫が関知しないLINEグループに参加してほしくないというのがありますし、家族同士の連絡さえLINEですませてしまうというのは、あまりにも悲しい状態なのでは。
 これが平成世代のありかたなのでしょうか。
 
 自分が子供の頃は、学校からは連絡帳があったり、クラスのグループで日記をまわしてそれを担任が赤でメッセージ入れたりありました。夕食の支度をする母に学校での出来事を話したり、夕食時に父がニュースを見ながら色々世の中の事について話をしてくれました。
 そういう風景はもう少なくなって絶滅していくのでしょうか。

 イントネーションや感情、表情、ジェスチャー……言葉以外のコミュニケーションは非常に大事なのに、それが失われていくのは寂しい事だと思います。

 コミュニケーションを電子機器に頼りすぎることに危機感を覚えます。
 言いたくても言えない、言葉に出来ない。だけれど、仕草などが訴えている……それを察知する能力はどんな世代、どんな時でも大切だと自分は思います。
 特に大人が子供に接する時は。

 直で話をしようよ。
 笑って泣いて、身振り手振り加えて。言葉に詰まったときは、ぎゅっと相手の手を握ろうよ。

 そう思うのです。

ワロタ // 葬式のこと // 田舎のじーちゃんとか

 そっかー。あのおじーちゃん亡くなってしまわれたんだ……

 【訃報】DASH村「農業の達人」三瓶明雄さん死去…84歳★2

13 名前:名無しさん@0新周年@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/06(金) 23:39:11.66
さらば~この世よ~旅立つ船は~檜造りの~お棺
宇宙の彼方~十万億土、戒名背負い今旅立つ
必ず盆に~帰ってくると~遺族の皆に~笑顔で応え
この世を離れ~極楽浄土、はるばるのぞむ~ホール斎場焼き場

合掌

 ワロタ。ヤマトのOPは、アニメのMADテープで笑いまくったクチなんだけど、この歌詞は初見かも。そだねえ。宇宙にドドンと旅立つ、いいよねえ! で、盆にはちゃーんと戻って来るという。

 そうそう。父の時はお寺でタタミ=正座でしんどかったんですけれど、母の葬儀は葬儀社のホールだったんですよね。パイプ椅子で楽でした。家族控え室も綺麗で。まあ、眠れませんでしたけれどね。

 大阪市バスや地下鉄に乗ってると、家族葬の広告が貼ってあったりします。お返しのこととか色々考えると、家族近隣親戚だけでというのも良いかもしれないですね。結婚と違って「いつ起きるか分からない」事で費用が幾らかかるか分からないし、お付き合いのある方にも来ていただくと色々大変ですから。

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 さておき、先日、カレーの方で、「TOKIO鎮守府」の話を書いただけに、ちょっと寂しいです。田舎の農家のおじーちゃんというと、山も管理してたりするから、田畑の事だけでなく、修繕や伐採、熊や猪などの山の動物のこと、なんか色々出来て、しかも体力がめっちゃあるという印象を個人的に持っています。自分の両親は郷里の地の人じゃあないんで、そういうおじーちゃんが親戚にはいませんが、知人のおじーちゃんの話とか聞くとね。

 前居所に居る頃からTVは段々見なくなり、大阪に来るときはTVナシ、今もナシなので、詳しく覚えてはいませんが、TOKIOの皆さんとじっくり村の作業に取り組んだという印象があります。実家の側が田んぼだったんで、農作業の大変さは目で見るだけではありましたが、それでも大変なものだと感じています。他の仕事の間を縫ってDASH村で作業する都会育ち? の青年達を最初はどう受けとめたのかは分かりません。しかし、3.11が起きるまでのDASH村で作り上げたものを見れば、TOKIOの皆さんと番組スタッフ、そしてあの村に関わった「田舎のじーちゃんばーちゃん」の皆さんが良好な関係を築いていたのだろうと自分は感じるのです。前居所を離れる頃はほとんど見てなかったので分からないのですが、自分が記憶している限り、囲炉裏で鍋を囲んでいる姿は楽しそうだったなと思いました。

 「島、がんばれよ」と三瓶氏はTOKIOや番組スタッフを見守って下さるでしょう。

生きる事をあきらめないで // 自殺について

 何歳ぐらいの方かわかりませんが、「ひとりごと」のキーワードで自死について書いてらっしゃるのを見て。

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自分にも「死にたい」という時期があった。正確には「死ぬか出家するかどちらか」だったけど。

母が亡くなった後、それまでも悪かった兄弟仲が骨肉の争いレベルとなり、
こころの病気の状態が悪化、生活も苦しかった。
しかし、その当時の居所にある尼寺の庵主様に諭され、そして、出家はあきらめたがせめて区切りをと頭を丸坊主にし、
色々な本を読んだりしてなんとか生き残った。

その後も何度か苦しい時があり、その度丸坊主にしたり、カウンセリングで話し合ったりして生き延びた。
その延長上が今の自分。

人生は苦しい。だけれど、困難を乗り越える度に色々学び、それを生かすように努めれば
生き残ることはできると自分は思っている。
そして、美しい自然、音楽、楽しい事、面白い事、美味しいものにも出会える。
死んだら、苦しみも無くなるけど、喜びも無くなってしまい、なによりも寂しい。

嫌な人間も多いけれど、自分と楽しみや喜びを分かち合える、励まし合える人もこの世には居ると自分は考える。
どうか、生きる事をあきらめないでと願ってやまない。

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 何故「出家を考えたか」についてですが、母の病気が悪化した頃から観音様に帰依し、臨済宗のお寺に時々お邪魔してお話を聞いたり坐禅会で坐ったりしていたため。学生の頃は大嫌いだった古典……徒然草を皮切りに枕草子源氏物語などの現代語訳等読むようにもなって、「世俗から離れたい」という気持ちがあったのです。兎に角、平穏な環境を求めてたんですよね。

 だけれど、尼寺の庵主様に「あなたは肩に力が入りすぎている。もっと楽になさい」というアドバイスを頂いたのと、それ以上に、生半可な気持ちで出家を考えてはいけないと強くしかられた事で、自殺も出家も自分の「道」の選択肢から消し……さりとて、モヤモヤは残っているので、ただでさえ短めだった髪を丸坊主にしてサッパリさせた、という訳。当時、前夫はびっくりしましたけど、元々自分が変人であることや、前夫と暮らす頃には既に自分は帰依していたのを知っていたので、見守ってくれました。ありがたいことです。

 今でも外出時は帽子をかぶりますが、丸坊主にした時に、外出先で周囲の人にじろじろ見られたり、驚かれるのが嫌だったためにかぶり始めたのがきっかけですね。近所の人から「頭部の手術をして、その跡を隠すために帽子をかぶってたんですか?」と聞かれもしましたが、ああまあいやちょっとまあそのなんですねーとかいう感じでテキトーにごまかしたり。

 離婚するまでは何度か丸坊主にしましたけど、大阪に移ってからは一度もしていません。転居してしばらく……まだ、今の精神科担当医と出会って治療が安定するまでは、何度か丸坊主にしたいという気持ちがありましたが、40歳も過ぎ、さすがにアバンギャルド(笑)なことはそろそろ止めようかと思うようになったのと、ガチガチだった信仰心がある程度のんびりしてきて、「丸坊主にしたところで=表面の形を変えたところで、内面が落ち着かなければ問題解決とは言えないのでは?」と考えるようになったからでしょう。

 今は、波はあるものの治療も安定し、「グータラマイペースマターリ仏教徒」っていうスタイルに落ち着いたこともあって、よほどの事が無い限りは丸坊主になることは無いでしょうね。ただ、黒や紺、グレーの服しか身につけないというのは変わりませんが。

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 開高先生は「風に訊け」の中で、

 (前略)ぼくは苦しみから逃げ出すためだけの自殺は否定しますが、強い意志による自殺は背(肯=編集部注)定します。どうか先生の自殺についての自論をお聞かせください。(朝霞注:ここまで読者の質問)

 

 自殺したいと思うことと、本当に自殺することとは、似ていて別のものである。一歩の違いがある。

(中略)

 ただ、こういうこともある──自殺を考えることによって、じつは自分を高めている、浄めているということがあって、これは一種の精神的外科手術なんだ。つまり、強く生きるために弱く自殺を考えるんだな。しかし、自殺を考えるのは弱いだけじゃない。君の言うように、強い意志による自殺衝動というものもあるだろう。が、最後の一歩、これが問題なんだ。

(以下略) 風に訊け 集英社文庫 279-280pより

 と、書いてらっしゃいます。

 死を意識することで、生へとつなげることも出来るのではという考えは大いにあると思うのです。自分の場合、感受性が高かった10代に父を亡くし、死についての恐怖が強く心に刻み込まれました。その反面、意識不明後の父の様子や、C型肝炎が重くなって行き、入退院を繰り返すようになった頃の母の様子を思うと、病苦から逃れるために楽に=死ぬことを、と思いもあったかも知れません。

 自分が自殺を考えたあの時は、庵主様が「言葉の警策(けいさく)」で自分の肩をバシッと強く叩いてくださったために、死へと踏み込まず、生き残ることが出来ました。その後も開高先生や今東光和尚、他の先達の方々の本や様々な方と出会い、語りして「生と死の水際」をとぼとぼ、ふらふら、死や厭世に近づいたと思えば、おっかなびっくりしたり、本や先達の方の言葉にピシャリとやられたりして、生や現実に戻ったりし……ナントカ今も生きています。

 ぶっちゃけ、誰でもいつかは死にます。それだったら、何も急ぐこたぁない、って事なんです。ハイクにも書きましたが、生きていれば感動したり楽しいことだってあります。死んでしまったらそれに出会う機会さえ消えてしまう。それは寂しいと自分は思うのです。

 80年代は楽しかった。でも、21世紀には21世紀なりの楽しみはありますし、この先10年20年先にも面白い事は起きるはず。面白い事楽しいことは、苦しい出来事を乗り越える「清涼剤、活力剤」だと自分は思っていますから、やっぱ、自殺しないで欲しいって思うんですよね。うん。

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 「だって、今日、良いことがあるなんて昨日カンペキに予想すること出来なかったと思うんです。あなたとこうやってお話出来てうれしいと予想できなかったと。明日も良いことあるかも知れないですよねえ。だから自分は今日も生き、明日も生き、ずっと生きていたいと思うんです」

 これはちょっと前に、とある方との話の中で自分が話したこと。

フジテレビ、昼は名曲アルバム的なものを流せば良い // 2つの「2ちゃんねる」

 ◆「『バイキング』 視聴率1%台に落ち込めば打ち切り可能性も│NEWSポストセブン」自分の家にはTVないんで(アニメは週遅れでニコチャンネル等で見てる)どういう内容かわからないけど。

 他の局と似たり寄ったりなものをやったところで変わらないと思う。それなら1980~2000年代のヒット曲のPV(または、過去の音楽番組からの流用)流したり、L字でtwitterとかのホットワードや一行ニュースながしておけばいいんじゃ?

 制作費は抑えられるし、さほどうるさくないから職場の休息室のTVでも流せると思う。

 ◆Jim2ちゃんねると、ひろゆき2ちゃんねるだけど。なんか、「ジム「助けて!2ちゃんねる運営のお金が足りないの!募金して!」→「ありがとう。3万円集まりましたorz」 | 面白ニュース!netgeek」ってな記事がでたり。ここは手打ちするしかないよ。ひろゆき氏の狡猾さはパネェと思ってるから。Jim2chは多分、そう遠くないうちに金欠で鯖稼働無理になるんじゃないかと個人的に思ってる。

 でも、ひろゆき氏が再び2chを掌握したとしても、記者や削除とか規制作業をしてる人をボラではなく、きちんと雇用して責任を確かにして欲しいというのはある。いつの間にか居なくなったりとか、自分の指向で記事立てしたりとか。カッとなってプロバイダごとまるっと規制とかバカとしか言いようがない。

 以前から、運営関係の板はキャップ持ちしかスレ立て出来ないようにしてくれと思ってるんだけど、それが出来てない。2ch批判要望板なんか、今めちゃくちゃ。放置しておけば飽きるんだろうとか思われてるのかな。

 あとは、板の整理かな。ノリで作った板とかあると思う。また、一つの板におけるスレ数を減らすのもありだと思う。

 西氏がかつて「便所の落書き」と2chを表していたね。一部の板を除いて今でもそう。そしてそういう便所の落書きは必要悪だとも思ってる。ただ、だからといって何でも許されるわけでも無いというのも知って欲しいと思ってる。

 今回の騒動で自分が一番気にしているのは、「削除や規制管理、運営関係板の管理をしっかりとやれる人を雇用すること」かな。ボラに頼るのはもうやめて欲しい。