小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

LINEって、デメリットのほうが多くないだろうか?

 自分はLINEを使っていないので詳しい事はわからないんですが。
 しかし、インターネットが普及していくのを肌で感じた世代であり、人と人が直で会ったり、最低でも電話で話さないとコミュニケーションとれな かった時代からメールなどで気軽に連絡をとれる時代へ変わっていき……その弊害について警鐘を鳴らしている人の話をちょっと見たりしてきました。
 LINEは現在、「直で会話する」ことから一番遠く離れたコミュニケーション手段かなと自分は感じるのです。

 確かにデメリットのほうが耳目をひくので強調されているのかも知れません。
 しかし、「既読スルーでケンカになった」というのはネットでよく見ますし、せめて、既読かどうか分からなくするだけでも変わるのではと。
 そうするとLINEの特性が失われるという人もいるかもしれませんが。

 また、18歳未満はID検索できなくしているということですが、ネット上ではLINEのIDを書き込んで友達募集という掲示板があります。援助交際の温床としてのLINEの側面は断ち切れていません。

 自分は自分の人生経験から「最大の危機に備えるべき」と考えます。
 LINEを使う事のメリットよりデメリットのほうが大きいなら使うのを控えるか、代替できるアプリを探すべきだと感じます。

 むしろ、他のアプリ開発者/メーカーがLINEのデメリットを出来るだけ少なくしたグループアプリを開発して欲しいと感じますね。

 これだけは妻にやめてほしいことTOP10 [夫婦関係] All About :
 http://allabout.co.jp/gm/gc/443101/

 の中にも夫が関知しないLINEグループに参加してほしくないというのがありますし、家族同士の連絡さえLINEですませてしまうというのは、あまりにも悲しい状態なのでは。
 これが平成世代のありかたなのでしょうか。
 
 自分が子供の頃は、学校からは連絡帳があったり、クラスのグループで日記をまわしてそれを担任が赤でメッセージ入れたりありました。夕食の支度をする母に学校での出来事を話したり、夕食時に父がニュースを見ながら色々世の中の事について話をしてくれました。
 そういう風景はもう少なくなって絶滅していくのでしょうか。

 イントネーションや感情、表情、ジェスチャー……言葉以外のコミュニケーションは非常に大事なのに、それが失われていくのは寂しい事だと思います。

 コミュニケーションを電子機器に頼りすぎることに危機感を覚えます。
 言いたくても言えない、言葉に出来ない。だけれど、仕草などが訴えている……それを察知する能力はどんな世代、どんな時でも大切だと自分は思います。
 特に大人が子供に接する時は。

 直で話をしようよ。
 笑って泣いて、身振り手振り加えて。言葉に詰まったときは、ぎゅっと相手の手を握ろうよ。

 そう思うのです。

ワロタ // 葬式のこと // 田舎のじーちゃんとか

 そっかー。あのおじーちゃん亡くなってしまわれたんだ……

 【訃報】DASH村「農業の達人」三瓶明雄さん死去…84歳★2

13 名前:名無しさん@0新周年@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/06(金) 23:39:11.66
さらば~この世よ~旅立つ船は~檜造りの~お棺
宇宙の彼方~十万億土、戒名背負い今旅立つ
必ず盆に~帰ってくると~遺族の皆に~笑顔で応え
この世を離れ~極楽浄土、はるばるのぞむ~ホール斎場焼き場

合掌

 ワロタ。ヤマトのOPは、アニメのMADテープで笑いまくったクチなんだけど、この歌詞は初見かも。そだねえ。宇宙にドドンと旅立つ、いいよねえ! で、盆にはちゃーんと戻って来るという。

 そうそう。父の時はお寺でタタミ=正座でしんどかったんですけれど、母の葬儀は葬儀社のホールだったんですよね。パイプ椅子で楽でした。家族控え室も綺麗で。まあ、眠れませんでしたけれどね。

 大阪市バスや地下鉄に乗ってると、家族葬の広告が貼ってあったりします。お返しのこととか色々考えると、家族近隣親戚だけでというのも良いかもしれないですね。結婚と違って「いつ起きるか分からない」事で費用が幾らかかるか分からないし、お付き合いのある方にも来ていただくと色々大変ですから。

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 さておき、先日、カレーの方で、「TOKIO鎮守府」の話を書いただけに、ちょっと寂しいです。田舎の農家のおじーちゃんというと、山も管理してたりするから、田畑の事だけでなく、修繕や伐採、熊や猪などの山の動物のこと、なんか色々出来て、しかも体力がめっちゃあるという印象を個人的に持っています。自分の両親は郷里の地の人じゃあないんで、そういうおじーちゃんが親戚にはいませんが、知人のおじーちゃんの話とか聞くとね。

 前居所に居る頃からTVは段々見なくなり、大阪に来るときはTVナシ、今もナシなので、詳しく覚えてはいませんが、TOKIOの皆さんとじっくり村の作業に取り組んだという印象があります。実家の側が田んぼだったんで、農作業の大変さは目で見るだけではありましたが、それでも大変なものだと感じています。他の仕事の間を縫ってDASH村で作業する都会育ち? の青年達を最初はどう受けとめたのかは分かりません。しかし、3.11が起きるまでのDASH村で作り上げたものを見れば、TOKIOの皆さんと番組スタッフ、そしてあの村に関わった「田舎のじーちゃんばーちゃん」の皆さんが良好な関係を築いていたのだろうと自分は感じるのです。前居所を離れる頃はほとんど見てなかったので分からないのですが、自分が記憶している限り、囲炉裏で鍋を囲んでいる姿は楽しそうだったなと思いました。

 「島、がんばれよ」と三瓶氏はTOKIOや番組スタッフを見守って下さるでしょう。

生きる事をあきらめないで // 自殺について

 何歳ぐらいの方かわかりませんが、「ひとりごと」のキーワードで自死について書いてらっしゃるのを見て。

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自分にも「死にたい」という時期があった。正確には「死ぬか出家するかどちらか」だったけど。

母が亡くなった後、それまでも悪かった兄弟仲が骨肉の争いレベルとなり、
こころの病気の状態が悪化、生活も苦しかった。
しかし、その当時の居所にある尼寺の庵主様に諭され、そして、出家はあきらめたがせめて区切りをと頭を丸坊主にし、
色々な本を読んだりしてなんとか生き残った。

その後も何度か苦しい時があり、その度丸坊主にしたり、カウンセリングで話し合ったりして生き延びた。
その延長上が今の自分。

人生は苦しい。だけれど、困難を乗り越える度に色々学び、それを生かすように努めれば
生き残ることはできると自分は思っている。
そして、美しい自然、音楽、楽しい事、面白い事、美味しいものにも出会える。
死んだら、苦しみも無くなるけど、喜びも無くなってしまい、なによりも寂しい。

嫌な人間も多いけれど、自分と楽しみや喜びを分かち合える、励まし合える人もこの世には居ると自分は考える。
どうか、生きる事をあきらめないでと願ってやまない。

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 何故「出家を考えたか」についてですが、母の病気が悪化した頃から観音様に帰依し、臨済宗のお寺に時々お邪魔してお話を聞いたり坐禅会で坐ったりしていたため。学生の頃は大嫌いだった古典……徒然草を皮切りに枕草子源氏物語などの現代語訳等読むようにもなって、「世俗から離れたい」という気持ちがあったのです。兎に角、平穏な環境を求めてたんですよね。

 だけれど、尼寺の庵主様に「あなたは肩に力が入りすぎている。もっと楽になさい」というアドバイスを頂いたのと、それ以上に、生半可な気持ちで出家を考えてはいけないと強くしかられた事で、自殺も出家も自分の「道」の選択肢から消し……さりとて、モヤモヤは残っているので、ただでさえ短めだった髪を丸坊主にしてサッパリさせた、という訳。当時、前夫はびっくりしましたけど、元々自分が変人であることや、前夫と暮らす頃には既に自分は帰依していたのを知っていたので、見守ってくれました。ありがたいことです。

 今でも外出時は帽子をかぶりますが、丸坊主にした時に、外出先で周囲の人にじろじろ見られたり、驚かれるのが嫌だったためにかぶり始めたのがきっかけですね。近所の人から「頭部の手術をして、その跡を隠すために帽子をかぶってたんですか?」と聞かれもしましたが、ああまあいやちょっとまあそのなんですねーとかいう感じでテキトーにごまかしたり。

 離婚するまでは何度か丸坊主にしましたけど、大阪に移ってからは一度もしていません。転居してしばらく……まだ、今の精神科担当医と出会って治療が安定するまでは、何度か丸坊主にしたいという気持ちがありましたが、40歳も過ぎ、さすがにアバンギャルド(笑)なことはそろそろ止めようかと思うようになったのと、ガチガチだった信仰心がある程度のんびりしてきて、「丸坊主にしたところで=表面の形を変えたところで、内面が落ち着かなければ問題解決とは言えないのでは?」と考えるようになったからでしょう。

 今は、波はあるものの治療も安定し、「グータラマイペースマターリ仏教徒」っていうスタイルに落ち着いたこともあって、よほどの事が無い限りは丸坊主になることは無いでしょうね。ただ、黒や紺、グレーの服しか身につけないというのは変わりませんが。

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 開高先生は「風に訊け」の中で、

 (前略)ぼくは苦しみから逃げ出すためだけの自殺は否定しますが、強い意志による自殺は背(肯=編集部注)定します。どうか先生の自殺についての自論をお聞かせください。(朝霞注:ここまで読者の質問)

 

 自殺したいと思うことと、本当に自殺することとは、似ていて別のものである。一歩の違いがある。

(中略)

 ただ、こういうこともある──自殺を考えることによって、じつは自分を高めている、浄めているということがあって、これは一種の精神的外科手術なんだ。つまり、強く生きるために弱く自殺を考えるんだな。しかし、自殺を考えるのは弱いだけじゃない。君の言うように、強い意志による自殺衝動というものもあるだろう。が、最後の一歩、これが問題なんだ。

(以下略) 風に訊け 集英社文庫 279-280pより

 と、書いてらっしゃいます。

 死を意識することで、生へとつなげることも出来るのではという考えは大いにあると思うのです。自分の場合、感受性が高かった10代に父を亡くし、死についての恐怖が強く心に刻み込まれました。その反面、意識不明後の父の様子や、C型肝炎が重くなって行き、入退院を繰り返すようになった頃の母の様子を思うと、病苦から逃れるために楽に=死ぬことを、と思いもあったかも知れません。

 自分が自殺を考えたあの時は、庵主様が「言葉の警策(けいさく)」で自分の肩をバシッと強く叩いてくださったために、死へと踏み込まず、生き残ることが出来ました。その後も開高先生や今東光和尚、他の先達の方々の本や様々な方と出会い、語りして「生と死の水際」をとぼとぼ、ふらふら、死や厭世に近づいたと思えば、おっかなびっくりしたり、本や先達の方の言葉にピシャリとやられたりして、生や現実に戻ったりし……ナントカ今も生きています。

 ぶっちゃけ、誰でもいつかは死にます。それだったら、何も急ぐこたぁない、って事なんです。ハイクにも書きましたが、生きていれば感動したり楽しいことだってあります。死んでしまったらそれに出会う機会さえ消えてしまう。それは寂しいと自分は思うのです。

 80年代は楽しかった。でも、21世紀には21世紀なりの楽しみはありますし、この先10年20年先にも面白い事は起きるはず。面白い事楽しいことは、苦しい出来事を乗り越える「清涼剤、活力剤」だと自分は思っていますから、やっぱ、自殺しないで欲しいって思うんですよね。うん。

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 「だって、今日、良いことがあるなんて昨日カンペキに予想すること出来なかったと思うんです。あなたとこうやってお話出来てうれしいと予想できなかったと。明日も良いことあるかも知れないですよねえ。だから自分は今日も生き、明日も生き、ずっと生きていたいと思うんです」

 これはちょっと前に、とある方との話の中で自分が話したこと。

フジテレビ、昼は名曲アルバム的なものを流せば良い // 2つの「2ちゃんねる」

 ◆「『バイキング』 視聴率1%台に落ち込めば打ち切り可能性も│NEWSポストセブン」自分の家にはTVないんで(アニメは週遅れでニコチャンネル等で見てる)どういう内容かわからないけど。

 他の局と似たり寄ったりなものをやったところで変わらないと思う。それなら1980~2000年代のヒット曲のPV(または、過去の音楽番組からの流用)流したり、L字でtwitterとかのホットワードや一行ニュースながしておけばいいんじゃ?

 制作費は抑えられるし、さほどうるさくないから職場の休息室のTVでも流せると思う。

 ◆Jim2ちゃんねると、ひろゆき2ちゃんねるだけど。なんか、「ジム「助けて!2ちゃんねる運営のお金が足りないの!募金して!」→「ありがとう。3万円集まりましたorz」 | 面白ニュース!netgeek」ってな記事がでたり。ここは手打ちするしかないよ。ひろゆき氏の狡猾さはパネェと思ってるから。Jim2chは多分、そう遠くないうちに金欠で鯖稼働無理になるんじゃないかと個人的に思ってる。

 でも、ひろゆき氏が再び2chを掌握したとしても、記者や削除とか規制作業をしてる人をボラではなく、きちんと雇用して責任を確かにして欲しいというのはある。いつの間にか居なくなったりとか、自分の指向で記事立てしたりとか。カッとなってプロバイダごとまるっと規制とかバカとしか言いようがない。

 以前から、運営関係の板はキャップ持ちしかスレ立て出来ないようにしてくれと思ってるんだけど、それが出来てない。2ch批判要望板なんか、今めちゃくちゃ。放置しておけば飽きるんだろうとか思われてるのかな。

 あとは、板の整理かな。ノリで作った板とかあると思う。また、一つの板におけるスレ数を減らすのもありだと思う。

 西氏がかつて「便所の落書き」と2chを表していたね。一部の板を除いて今でもそう。そしてそういう便所の落書きは必要悪だとも思ってる。ただ、だからといって何でも許されるわけでも無いというのも知って欲しいと思ってる。

 今回の騒動で自分が一番気にしているのは、「削除や規制管理、運営関係板の管理をしっかりとやれる人を雇用すること」かな。ボラに頼るのはもうやめて欲しい。

アホちゃうか // 女房にケツ載せられてもびくともしない旦那 //車バカのバカ女房だった頃

 「愛人発言「しゃれ、冗談の極み」 橋下・大阪市長:朝日新聞デジタル」って記事をニュー速+で見たけど。はしもっちゃんもアホやけど、記者はもっとアホやなぁとしか思えない。はしもっちゃん「こんなこと奥さんに言えませんけどね」→記者「アッハッハ」で、すませりゃいいんだよボケ。んで、そーゆーネタは記者だけが聞いたオフレコ的にし、週刊誌の「記者匿名座談会」で扱うようなもんじゃないかな。何が何でもはしもっちゃんを蹴落としたい連中が居るのは分かるけど。

 愛人囲う事の是非って夫婦の価値観の問題で、本妻である自分をちゃんと立ててくれるなら別に構いはしないわヨ、っていう夫婦だっていると思うし、そもそもそういうネタをネタとして捉える事が出来ない現代って息苦しすぎる。

 まァ、最初の発言の時に、はしもっちゃんがどういう表情で「愛人囲って~」と言ったか分からないからなんとも言えない部分はあるかな。こういうゲスいネタ使う時って、そういう表情、ジェスチャー、前振りとかきちんとしておかなきゃダメだから。ソレが上手じゃない人は、ゲスいネタを使うのは止めた方がいいと思う。

 「御堂筋の規制緩和ですが~具体的には云々」とマジ顔でマジ話を一段落させてから、「僕としては、大阪で稼いだお金は大阪に落としてもらわないと困る。例えば、高級なバッグとか宝石とか御堂筋沿いでどんどん買って頂いて、奥さんにプレゼント、そして」と身体を横に向けて「愛人さんにもプレゼント。そんでちょっと一緒に過ごしましょうよという場所も御堂筋沿いの素敵な部屋でなんてね」てな具合に。

 自分はそういうマジもゲスい話も出来る市長はオモロイからいい! って思うけど、一般的には受け入れられないでしょうね。そんだけ世の中ギスギスしてる。女のケツは男の背中に乗っかるためにあるんやろ、ってブクマコメに書いたけど、それすら「何書いとるんや!」って男女両方から責められると思う。だけどさ、草食どころか断食男子が居るなんていう世の中、なんかつまらないな。女房にケツ載せられても「それがナンボのもんじゃい!」って笑って女房の尻っぺたペチペチする位のヨユーある旦那であって欲しいネ! ちなみにここでの「尻」って物理的なものだけじゃあないよ? 男の器みたいな問題だから。

 財界人ならなおさらドーンと腹が据わってて、本妻さんもドーンと構えてて、愛人さんは自分の身をわきまえて相手に迷惑(妊娠とか、ホストに行っちゃうとかね)かけないっていうのが自分として「それでええんちゃう?」っていう状態。女房にヘコヘコする財界人とかちょっとねぇ……婿養子で肩身狭いんですかとか思っちゃう(笑)

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 自分は、前夫と暮らしていた頃、車系の集まりの時に、「旦那の女房は車ですけどねえ(笑)」とかやってたからね。維持や修理でかなりのお金が掛かってたのは事実だけど、それだからといって前夫から車を取り上げるなんて考えたくなかった。全損事故起こしても額にかすり傷だけで済んだのは車が前夫を守ってくれたわけだし(保険会社に見せるのために全損した車を撮影した写真を自分は絶対見なかった)。その後、次の車に乗り換えるまで意気消沈して布団の中に引きこもってる前夫を見るのが辛かった。何度も書いてるけれど「自分(ヨメ)と車とどっちが大事かと普通の嫁は聞く、つまり嫁を大事にしろというのが普通だけど、君は車と共に生きて欲しい」とマジで言ってる。離婚するしばらく前に今も乗ってる車に乗り換えたけど、その書類にハンコついた時の喜びようったら! 自分はやっぱり車には勝てないっていうか、完敗だなーと苦笑いする他なかった。恨むとかそういうのは全くなかった。自分の旦那がそーやって喜んでる姿を見て喜ばない女房の方が残念なんじゃ? と自分は思う。なにより自分も車が大好きだから! 今でも以前所有してた車(ジェミニ irm/HB)のハンドル、シフト、ペダル、「こうだったか……ああだったか……」って思っては寂しくなってしまうくらい。

 前夫は自分のことを殆ど語らない人なので、どう思っているかは分からない。

 けど、自分は10年、車バカの女房でいたことを楽しい思い出として大切にしてるし、前夫が今でもそれなりに充実したカーライフ(まあ、あっちゃこっちゃ厳しくなってるけどネとは聞いてますが)を送ってると聞いて、安心してる。

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 ちなみに自分の尻は骨っぽい(爆) そもそも骨太で、食事調整すると真っ先にお尻の肉から落ちてくんですよ。だから今、椅子に低反発クッションとか敷いてるのに痛い(笑) だから自分は結婚に向いてないのかも知れませんねぇ。アハハハハー!

アーキエイジ無料化/大阪市市長選挙/その他

◆ArcheAge(アーキエイジ)がやっと、なのかとうとうなのか分かりませんが、基本無料に。日本でサービス開始時には既に韓国では基本無料だったそーで。だからいつまで月額が続くだろうかと思っていたんですけれどね。自分はオープンβだけ参加しました。無駄に広すぎて移動するに不便なフィールド、物語性のないクエスト、材木や鉱石の取得がUOみたいにスムーズじゃない、売りの一つの畑が狭い、畑の維持に税金……グライダーは面白かったのですが、生活系を前に出したにしてはUOと肩を並べることさえ出来なかったですね。無料化になっても自分は戻らないと思います。

◆大阪の市長選挙、何とか投票行ってきました。しーかし、投票率が23%ちょっとでしたか? しかも、無効票が、落選三人の票を合わせたより多いというのには苦笑する他ないです。ですが大事なのは、今回の選挙が茶番劇であると、はしもっちゃんに突きつけるためには、白紙投票をどんどんやって、はしもっちゃんの票を無効票が超えなければならなかったという事です。バカな表現ですが「無効票が当選した」という状況に持ち込まなければならなかったと。例え、四人の候補者の誰にも投票したくなくても、この市長選をやるべきではなかったという意思表示を無効票を投じることで示すことが出来るのです

 今回の市長選にかかった経費は6億3千万だそうで。それだけの予算があれば、例えば古くなった公園や道路、施設の整備などに使えたのではないでしょうか。ああああ~~~~っ、もったいねえぇ!

 自分は近畿圏がガツーンとビッグになることは賛成です。しかし、今のはしもっちゃん、大阪維新の会には近畿圏を平らげる事は出来ないと自分は感じます。だから、以前さつき本家で書いたように、大阪維新の会を支持を今はしない。道頓堀プールがどーのこーのというアホな構想なんぞ吹っ飛ばし(それをエサに政治資金だけ集めるという手法はありますが)、近畿に金と人を集めるにはどーすりゃいいのか、もうちょっと現実的なアイデアを出せる人材を集めなきゃ。今の大阪維新の会に一番必要なのは策士。だけど、三国志じゃありませんが、軍師に自陣に来て頂くのは本当に大変だし探すのも大変。だけどやらなきゃ、近畿を平らげる事はできやせんぜ?

◆そろそろ、自分のPC(エプダイのBTO)をvistaからwin7に変えたいな、と。64bitのHomeをチョイスして、メモリを8Gまで上げたいですね。DSP版のwin7とメモリで18k円ほどの出費になりますが(かなーりイタイ)、糖尿病の薬の影響? で、胃腸の具合が悪く野菜スープと牛乳とかしか食べれない為食費を削ってなんとか捻出したいですねえ。

◆眼の炎症ですが、担当医からまだ「完治」と言われていません。元々アトピー性皮膚炎なので、もしや、目ン中にアトピーみたいな反応がでちゃったのかなー? とか考え始めています。次回行く時聞いてみよっと。痛みはもうなくて、日中の光で痛みを感じることもないのですが、鏡で眼球をみると血管がみゅるみゅるしてるのがわかります。んーもう、どーしてなのかなー。ふう。

ホント、気づいたら6時間かかっちゃったわけ。

 久々にF.S.S.関係の記事を本家さつきに。F.S.S.関係のレビュー記事を書く時って、NT本誌だけでなく、単行本にデザインズ、キャラクターズを引っ張り出して確認しては書き、また確認という作業なので、すんごーく時間掛かりますし、かなーり疲れます。体調が悪い時は出来ない事ですが、やっと落ち着いてきたのでこの「しんどいけど楽しい」事に取り組むことができました。やったネ!

 今回デザインズ4の感想の幾つかと、3~4月号の連載分感想をまとめて書きました。朝7時前位に始めたと思うんですが終わったら13時半回っていたという(笑)

 さてさて、過去に書いたかもしれないですけれど、「詩女(うため)」の設定とかって、センセの奥様である万梨阿さんへの贈り物でもあると思うんですよね。ラーンとなったベリンは万梨阿さんのイメージだよねーとか。

 また、「花の種を撒きましょう」というのは、皆へのメッセージでもあると考えます。便利なネット時代、こうやってブログとかtwitterとかで自分の想いを気軽に公開出来る時代です。厳しい世相だけど、それに負けないよう、お互い励ましの種を撒こうよ、と。あたたかな言葉、美しい言葉、支える言葉、時に厳しい言葉も含め、より良い明日を一人でも多くの人が迎えることが出来るようにと祈りを込めて。

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 自分がだらだらだらだら書いてきたことをどれ位の方々が読んで下さっているのか正直分かりません。カウンターってものが一応目安としてありますが。アルファブロガー(爆)になりたいとは思いませんけれど、自分の書いた話が少しでも参考になったらいいなーっていうのはあります。

 人力検索はてなで、主に人生相談や生活相談の回答をしていますが、それも上の理由からです。正直しんどい人生でしたが学ぶことは沢山ありました。また、多くの方に助けて頂きました。あの時御世話になった方々に直接恩返しすることは難しいけれども、困っている方を自分が出来る範囲で助けることが出来ればと思うのです。

 想いも世界を巡ります。優しさや思いやりが十二分に世界を巡るなら、国家など大きなモノが対立していたとしても、せめて個人同士は優しさの循環の輪で繋がることができるんじゃないかなと。

 ネットの時代だからこそ、思いやりや礼節、気配りは本当に大切なんだよと強く想うのです。