愛と憎しみと
ウィキペディアをふらふらしていて、「サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として会議に出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は「憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説[3]を行った。」という事を知った。
兄弟への憎しみは今でも時折自分の心に浮かぶ。
しかし、兄弟との連絡を絶ち、寂しいながらも安定した日々を送るようになったため、それが浮かぶ頻度はかなり減った。
そして、憎んでもなお残された血縁という思いも同時にあり、どこか遠くで無事に過ごしていて欲しいとも思う。
だけれど自分は出来た人間じゃあない。
もし再び兄弟と出会うことがあるなら、この大バカヤロウと言うんじゃないかと思う
仏教徒の末席でモジモジする人間としてはアカンなぁと思うけれど、やはりまだ、揺れてるんだな、と。
愛。
分かってはいるけれども、やはり、自分は生々しい人間なんだなと寂しく笑う。