小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

2013-06-14:一人じゃ、幸せって難しいと思う。そして、前夫とのチャカポコな日々。

 「自分を幸せにする方法 - 人力検索はてなhttp://q.hatena.ne.jp/1371103070」への回答。

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 自分がしてもらって嬉しいと思う事を、周囲の人、他の人にもしてみましょう。
 
 最近暑くなりましたよね。喉が渇いたりすると思います。自分だけ冷たいお茶を飲むのではなく、「ねえ、冷たいお茶飲もうか?」と、ご主人に尋ねてみて下さい。そして、一緒に飲みましょう。
 ビールとおつまみもいいですよね。ぷはー!
 「おいしかったねー!」と、顔を合わせたとき、笑顔になれると思います。それが幸せなのではないでしょうか。
 
 美味しい料理、楽しい事、ショッピング、趣味、旅行……、楽しい事を共有する、それが大事だと思います。
 そして、互いに互いを思いやる気持ち、気遣い、心配り。それを考え、実行する事も大事です。

 小さな喜びを数える事も幸せです。
 「あ、今日のお味噌汁良い感じに仕上がった!」というような。
 そう言う小さな幸せを大事にして欲しいとも思います。

 人間は、一人では幸せになれないのです。
 孤独が好きという人も居ます。自分自身、集団行動が苦手で、一人で行動するのが楽という人間ですが、それでも、「誰かと楽しい事を分かち合う」事が出来なくなったら寂しく感じます。
 
 自分が幸せになるのではないのです。二人で幸せになるのです。
 手を取り合って歩く事。実際に手をつなぐだけでなく、生活を送る上でも二人三脚で、互いの気持ちや心身の具合、思いなどを気遣う事……それが幸せの道だと、この歳になって思います。

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 離婚した人間が、夫婦の幸せについて語る資格があるのか、と言われたら「むぅ」となってしまいますが……ただ、自分と前夫との離婚は、病気のこと が理由なので、決して不仲になった訳ではないんですよ。今でも、用事があると連絡とったりしていますし。ただ、殆どバカ話になっちゃって用事がどっか行っ ちゃうときがありますが(笑)

 さて、前夫とハチャメチャな10年を送りましたが、さつきにも書きましたけど「幸せじゃないけど、不幸でもない」というのがその10年の感想で す。生活が厳しかったり、互いに病気を抱えていたため、辛い事というのはありました。しかし、楽しい事を共有してガハハと笑いあい、バカネタの応酬が日常 でもありました。アニメのMADテープとかスネークマンショーのネタとかポンポンやりあったりしてましたね。だから、辛くても10年なんとかやってこれたんだなぁと思うんです。でも、病気のしんどさで限界がきちゃったんですよね。

 ま、生活がなんとかなっていて、互いの病状が悪化しなければあのまま暮らしていたと思うんですよ。バカやりながら、笑いながら。んで、蕎麦屋めぐりや乗り鉄やったりしてね。

 オバカ夫婦でいいんですよ。心配りとか書いてますけど、そんなにふかーく考える事じゃないです。冒頭のお茶の話みたいな、ちょっとしたことなんで すよね。前夫は蕎麦と寿司に目がない人でしたから「んー、じゃあ、回転寿司いくかー」っていうと、目がキラーンと輝くみたいな。仕事が大変な時は、好きな チョコ買っておくとかね。ほんと、そういう感じだけ。ほんの少し「ああ、こうすれば喜ぶだろうなぁ」ってことをするだけ。後は笑顔。

 

 前夫と別れて気ままな独り暮らしになってから、病気で寝てたり、ビンボーだったりしたけど、楽しかったチャカポコな日々を思い出して、「そう かー、やっぱ、一人じゃ幸せって難しいなぁ」としみじみ思うようになりました。「咳をしても一人」という有名な句がありますが、「バカな事を言っても一 人」というのは寂しいものです。そこですかさずツッコミとかバカネタ、2ch用語が出てこないのがね。

 そして、今の精神科担当医と出会い、治療の中で色々とアドバイスを受けたり、話し合いをする中で色々な発見がありました。目から鱗が落ちるというより、脳から古い欠片がはがれ落ちたというか、まあそんな感じの事がありました。

 そんな風に、この2年で感じたことのまとめが、上記の回答ということになります。

 

 ちなみに現在、前夫の病状は落ち着いているようで安心しています。それでもやっぱり、蕎麦屋めぐりしたり、美味い魚食べたり、車が女房だったり、乗り鉄撮り鉄してるのは相変わらず。

 まあ、前夫の女房には車がふさわしいというのは自分自身納得していることというより、自分が言い出した事ですから。「車と私とどちらを取るの、イ コール私を優先しなさいと車バカの奥さんは良く言うけれど、自分はね、君の女房は車だと思う。車と一緒に君の郷里に戻って幸せに暮らした方が良いと自分は 思うんだ」と言った事があります。真面目にね。あれは……多分、アルファ155のエンジンやっちゃった時でしょうね。見積書みて口から泡吹きましたよ。 ほーんと。「50歳になる前にアルファ乗っておかなきゃ、それ以降だと乗れない(身体が車についていけない)よ」と焚きつけたのは自分ですが、まさかここ まで金食い虫だとは思ってもいなかったです。とはいえ、DTMを知って憧れた車が毎日目の前にあり、助手席に乗れたというのは幸せな事でした。最終的に降りる事になりましたし、自分は運転しませんでしたが、良い思い出です。

 自分の車人生に豊かな思い出を与えてくれた前夫には感謝しています。前夫と出会わなければ、自分はあの車のオーナーになることはありませんでし た。あの車のポテンシャルを引き出す運転は出来なかったけれど、夢を見る事は出来ましたから…… そして、あの車を通じて多くの方と交流する事も出来まし た。

 ホント、車の面からみれば、自分はツイてる人生だと思っています。