小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

ヴェネチア

 ヴェネチア
 様々な人々と物と金貨が行き交う都。
 日の光を受けてきらめく錦に香料、様々な細工に宝石。
 東西の知識とささやき。
 男達は名誉と富を求めて海へ乗り出し、
 女達は帰港した彼らを抱きしめる。
 運河に響く鐘の音。
 黄金の獅子の旗。
 ああ、ヴェネチアよ、栄えあれ。
 
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 ヴェネチアには残念ながら行くことが叶いませんでしたが、塩野七生先生の著作で好きになった都市です。
 16世紀から夕暮れを迎えましたが、現代では規制せねばならぬほどの観光客の賑わい。
 けれどもCOVID-19はヴェネチアにも影を落としたようで、ゴンドラも繋がれたまま、運河を行き交うこともないとか。
 
 先日も書きましたが、まだ惨禍は続いています。
 今日もまた、1日でも早く落ち着いてと祈ります。

無題

 ノイズ。
 
 物事はたまに「ハァイ!」という挨拶をしてから訪れる事もあるけれど、スワッティング時のように御挨拶抜きで扉を蹴破りいきなりごついブーツと銃口で襲いかかってくる。
 OMGで済むならいいけれど、大抵は心身へ傷を残していく。酷ければPTSD、そうじゃなくても時折涙が頬に流れ、身体が震える。
 自分の場合ずっと精神科医にお世話になっている。
 
 ただ自分は、先述したような襲撃に遭ったときにフワッと冷たい人間になって、淡々と対応/行動することがある。
 ええ、わかりました。それで? はい、そちらの書類にサインですか? はい、こちらをどうぞ。
 
 自分ではコントロール出来ないスイッチがあるのかも知れないけれど、自分は患者として素直でいたい気持ちもあり精神医学についてはできるだけ避けるようにしてる。診察中、担当医との会話を余計なものでややこしくしたくないから。
 
 フリップ。
 
 明日、何かを体験するなり物事の訪問を受ける可能性は何パーセントか分からない。自分としては連続性があるけれど変化が起きる可能性も。
 出来れば、小さな花束を持った紳士の歓迎を受けたいけれど、大抵はひどいめまい、請求書、ポスティングのチラシの山、福祉事務所からの連絡、冷蔵庫の中の消費期限を過ぎたミルクのパック、バスルームの掃除。
 あるいは、ぼんやり歩いていたせいて電動自転車にぶつかってしまうかも。
 
 シフト。
 
 でもまあ、今まで生きてきてまずまずだったと思っている。ここに住んで9年。最初は好きになろうと努力したけれど、今はもう諦めてる。ただ部屋のある地区は気に入ってる。
 一般的な人達のような規則正しい生活を送っていないから、どこからが朝でどこからが夜かは定義しづらいけれど、ちょっとだけでもマシな朝になりますように。

---------OUT.

イタリア! イタリア!

 COVID-19(新型コロナウイルスという表記よりも自分はこの表現をとります)が世界中に広げた不安、悲しみ、動揺、混乱が早く落ち着きますようにと祈る日々です。
 ヨーロッパ、とりわけイタリアに心を深く寄せている自分は、イタリアからもたらされるニュースに胸を痛めています。
 
 ふと、フィレンツェでのシーンを思い出して「ハンニバル」をちょっと見ていました。
 「羊たちの沈黙」よりも自分は「ハンニバル」が好きです。フィレンツェも舞台の一つになっているからというのもありますが、レクター博士のエレガントライフを垣間見ることが出来るからというのも。
 クラリス……スターリング捜査官に送られた手紙にふんわり染みこんだハンドクリームの香り。封筒の封をする所の処理がナチュラルになっている所や蝋のシールを使っているところ。しかもシールの大きさが小ぶりな所。
 フィレンツェに腰を下ろしつつもアメリカの事……スターリング捜査官の事を遠くから見守り続けていたと思われるのが、ゆるやかに弾くピアノの楽譜たてに現地の新聞に混じっておかれているNYポスト。 
 あと、別件でレクター博士に近づいていた刑事の名前がパッツィという名前なのも、ルネサンス付近のイタリアの歴史に関する本をかじった自分には「さすが!」と思うポイントの一つ。
 
 今は、Twitterのpostで久々に見たタイトルの未完走の文庫本を本棚から発掘して楽しむ事を優先してるので、「ハンニバル」は1/3位で一休み。
 今年の2月末~3月は本当に体調が悪くて、ネトゲどころかネットでうろちょろするのも無理だった位でした。やっと一寸前からゆるゆる動けるようになったので、せっかくの老眼鏡をホコリまみれにしちゃうのも勿体ない事ですし、休み休み読書とリカバリ……といっても、健康な方の数割もないけれど、自分的な7割位まで戻せたらと思っています。
 
 不思議なのは「小料理屋さつき」のPVが100あるっていう、はてなからの告知。ダイアリーが終わりブログにデータは移りましたが更新していません。なのにPVがあるなんて。
 まだ気力があった頃に勢いに任せて書いたものとかを、今読んで下さる方が本当にいらっしゃるならとてもとても嬉しく思います。
 近況等がてら。

愛と憎しみと

 ウィキペディアをふらふらしていて、「サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として会議に出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は「憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説[3]を行った。」という事を知った。
 
 兄弟への憎しみは今でも時折自分の心に浮かぶ。
 しかし、兄弟との連絡を絶ち、寂しいながらも安定した日々を送るようになったため、それが浮かぶ頻度はかなり減った。
 そして、憎んでもなお残された血縁という思いも同時にあり、どこか遠くで無事に過ごしていて欲しいとも思う。

 だけれど自分は出来た人間じゃあない。
 もし再び兄弟と出会うことがあるなら、この大バカヤロウと言うんじゃないかと思う
 仏教徒の末席でモジモジする人間としてはアカンなぁと思うけれど、やはりまだ、揺れてるんだな、と。
 
 愛。
 分かってはいるけれども、やはり、自分は生々しい人間なんだなと寂しく笑う。

星座

 恋愛をガラス細工と言っていた人がいる。
 後々その恋は終わってしまいガラス細工は床に砕け散った。
 だけど、床に散ったガラスの破片は星になり、星座となった。
 ギリシャ神話を題材にして天の星座ができたように、床に散った恋の星座は当時の思い出の幾つかを今も心に残している。

国語に思うこと

 風呂に入ると色々な事を思いつきます。何故かは分かりませんが。
 
 昨日は「国語の授業も英語のリーダーとグラマーのように二つに分かれていた方がいいかな」と考えていました。
 「国文法=文法、筆記中心としたコマ」と「読解=文章を読んで感じたり考える事を中心としたコマ」とし、双方とも、漢文古文~現代文まで扱うようにすればどうだろうか、と。
 
 そう考えるようになったのは、40代になってやっと源氏物語の現代語訳を読む楽さを感じる事が出来るようになったからです。
 高校時代までは、受験という幹から伸びる枝の一つとして古文に触れたため、しかも「源氏物語」のようなボリュームのある作品の一部分を取り上げての事ばかりでしたから、登場人物や描かれた物語に思いをめぐらすことよりも、問題を正確に解くことが優先された感がありました。
 物語を楽しめなかったのが、古文から遠ざかってしまった原因のひとつかなと。
 大鏡などの鏡ものは歴史の知識も必要ですし、なおさらげんなりしてしまって。うたて、と。
 
 今、手元に残っているのは高校の現代文の教科書と古文のテキスト集ですね。受験も定期試験もなく、それなりに人生の山や谷を越してきた今開くそれらは、学生時代には見いだせなかった味わいがあります。

 なにより、つっかえながらも口に出して読む古文の美しさ。

 10代は感受性が高いという話がありますが、人生の艱難辛苦を超えた後の残ってる感受性もまたそれはそれで、若かった当時とは違う見方や味わい方があって。
 ただ、もう少し早く……まだ文章をこつこつ書いたりしていた30歳頃に、古文等味わう器が出来ていたら良かったのにとちょっぴり寂しく思います。
 受験という幹は無視できませんが、せめて、少しでも「清ら」な文章を書く事が出来、味わう地力を学生時代にそこそこ作っておきたかったなと。

 文法については、ビジネス文章だけでなく、お世話になった方々に出すお手紙に風情を添える事が出来たらとも。電話でのスムーズなやりとりや、客先で失礼の無いお話が出来る事とかも。勿論、SNS等で文章を書くときに読み手が不快にならないようするためには? というのも今の時代非常に大切なのではないでしょうか。
 
 とはいえ50歳を過ぎたから「今更……」というのは無いとも同時に思います。skypeやDiscordのようなものを利用した授業をもう一度受ける事ができたら素敵だなあって。
 以前、公文式の国語をやってみようかと思った事もありましたが、ちょこっと高いかな、と。放送大学は「授業感」を感じる事ができるのかわからなくて。
 ワガママですよね。でもちょっと、叶ったらうれしい夢だなって思うのです。