右翼ホテル
「私が何言ったって、貴方は行かれるンでしょうし」キヌ子は二口ばかりしか吸ってない煙草を硝子の灰皿にギシギシと潰した「どうぞどうぞ。どうなったって、知らないンだから」
「面倒をかけてすまなかった」
僕はそれだけ言って立ち去ろうとした。
「お待ちなさいって!」
彼女は立ち上がり、帯から札入れをだし、指で中身を数えてつまもうとして……ぱしっと閉じるとそのまま机に放り投げた。
「物入りでしょ、持ってってよ」
「用意はしてあるよ」
「貴方の言う用意って、いつも……」キッとにらんで札入れを掴み僕の目の前で振った「後々嫌な思いをしたくないの」
「……」
僕がゆるっと手を伸ばすと、札入れが打ち込まれた。
「安藤に送らせるから。出る時も連絡して。今週はタクシー捕まらないわ」
玄関へ行くと、僕のトランクの側に幸さんが腰を下ろしていた。
「ラジオで、しばらくはこんな降りだと言っていましたよ。ただでさえ寒いのに……こんな時にやならなくてもねぇ?」
「坊ちゃん達は大丈夫ですか?」
「ええ、しばらく休校ですって。ラジオの前から動かないので、大旦那様がしかってらっしゃいました」
「若いから仕方が無いよ。こういう時局だしね」
靴べらを返して、僕は頭を下げた。
「色々とお世話になりました」
「いぃえ。それより、本当お気をつけなさって下さいね」
胸中めぐるものがあるが、口をつぐんでもう一礼した。
シトロエンの後部に座ると、ちょっと人心地ついた。あの家はいつも苦手だが、こういう時は頼る他ない。
「いつもの道は通れませんから、かなり回り道になります」
「お願いします」
ふと車外を見ると、居間の窓際でキヌ子がこちらをにらんでいるのが見えた。途端に嫌な気になり、懐の仁丹入れに手を伸ばした。
車寄せに近づく前に停められた。身分証と許可証を重ねて士官に見せる。
「よろしいです。こちらで下車して下さい」
安藤がこちらをうかがったが
「構いません、降ります。安藤さん、有り難うございました。荷下ろしは僕がやります。そのままで」
雪の中、トランクを手に歩き出す。シトロエンはバックしながら敷地を去って行く。
「ヨシ」
先ほどの下士官が軽く手を上げると、バリの隙間に立っていた兵士が後ずさり、道を空けた。
どうしてこんな折にと思いもするが、決めた事だから致し方ない。
車寄せに立ち、再び士官に書類を見せた。普段ならここにはドアマン達が控えているのだが、今は厳しい目をした兵士達が口を真一文字に結んで立っている。
再び士官に通行証を見せ、回転扉に入る。ロビーではそこここでヒソヒソと話をする背広姿の男、柱を背にぴくりとも動かぬ兵士。時折ジリリと電話の音が響いて皆がビクリとする。
受付をすませ部屋に向かう。女給は家に帰されたのでボーイ達が談話室の給仕回されてる為荷物は自分で運んだ。皮手袋を脱いで廊下のラジエーターに手をあてたが止まっているようだ。ともすれば部屋も寒いかもしれぬ。
談話室では「折れるか、折れないか」とか、「○○から連絡はあったが(以下聞き取れず)」といった会話が散らばっている。机にはよれた新聞が重なっていた。半刻ほど経っても相手が来ない。もう一杯紅茶を頼もうかとおもったが、ボーイがつかまらぬ。
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Twitterで「右翼ホテル」という言葉がホッテントリに入ってたので午前中ポツポツと書いて投下したら何か気になって、前部分を追加してみたり。そこで息切れ。
後日追加するかも。しないかも。