小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

ふわふわっと、生きていく

 こころの病気で悩んだり、自死を考えたりという質問は定期的にあります。見かけたら出来るだけ回答することにしています。ただ、そのときそのときのヒラメキによって、回答は若干異なったりすることがありますね。メモ代わりに今回の回答を残しておこうと思い、コピペ。

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 ウツ患者の40代後半のおばさんです。

 自分は、30代前半に母を病気で亡くした後、兄弟と遺産相続でモメたり、急な引っ越しなどがあり、とても辛くて死にたいと思った事があります。正確には「死ぬか、出家したい」ですね。

 でも、禅寺の尼さまに、「あなたは肩に力が入りすぎている。もっと力を抜いて生きなさい」と諭されました。また、出家については、自分のような生半可な考えなどを持つ者ではダメだと怒られてしまいました。

 自分が辛く苦しい状態であるということを誰かに認めてもらい、自分の中でその事実がストンと落ち着くことが大切なのかもと、当時を振り返って思います。

 尼さまにお会いして、自分のつらさを分って頂いたこと、そして、マニュアル的に考えたり、「かくあるべし!」と決めつけて考えたりしないで、もっとオキラクにふわふわっと生きてもいいのだと、自分が認めた人に背中を押してもらえたんだとも考えます。

 どこに行けばそういう方に出会えるかはわかりません。
 こればかりは、ご縁としか言いようがありません。

 しかし、「生きていたい」「明日を感じたい」そういうお気持ち=意識を持ち続けることで、ご縁に出会える確率は高くなると自分は信じたいです。

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 自分が通院しているクリニックには、カウンセラーがいて、何度かお世話になったことがあります。45分ほどで5000円かかりますが、苦しみを吐き出すことは、こころの病気をもつ患者にとって大事な事だと自分は考えています。こころが少し楽になるなら、カウンセラーに辛さを吐き出して、うーんと泣いても良いのではと思います。

 苦しみでがんじがらめになった心が、そういう事で少し楽になったとき、次のステップは「人間は弱い。そして、弱くても良いんだ」と、ある意味開き直る事だと個人的に思います。

 歳を取って少しは丸くなったかなと思う時もありますが、やっぱり、ガンコで意地っ張りで、泣き虫で、執着する心があって……というダメダメ面はあったりするのです。

 でも、弱くて、ダメダメだと自覚するからこそ、学び、悩み、模索する心が生まれると思います。
 「どうすれば、明日がもう少しイイカンジになるだろう?」と、考える事から始まるのです……
 弱くても、ビリッケツでも、1mmしか動けなくても、少しでも前に、生きる方向へ進むことができたらラッキーだ、と考えるようにしています。

 1)まずは、しっかりと治療に取り組むこと。納得がいく治療を受けることができる病院を探すこと。
 2)恥ずかしいかもしれないけれど、辛さや苦しさ、悩みを担当医やカウンセラーに吐き出してみること。沢山沢山、泣くこと。
 3)自分が何をしたいのか、ぼんやりとでも良いので考えてみること。実行出来ない事でもOK
 4)焦らないこと。焦って失敗するより、気持ちが落ち着いて、物事をきちんと判断できるようになるまで、ゆっくり休むこと。
 5)自分を見捨てないこと。自分を守ること。

 長くなりましたが、自分のお話が少しでもヒントになれば幸いです。 

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 あのときお世話になった尼寺はどうなっているのか、庵主様はどうしてらっしゃるのか分りません。ただ、観音様への信仰が希望の糸となって最後まで自分の中にのこり、その糸があの尼寺への道を示してくれたのだろうと思うのです。とてもとても有り難い事です。

 こんな、グータラマイペースアバンギャルド仏教徒の自分でも、不思議な事は起きるのだなぁと思います。

 自分が生きること。自分が見守られていること。
 自分からの力、そして自分以外からの力。

 両方が重なり合って、自分の人生の道が日々作られているのかもしれませんね。