小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

生きる事をあきらめないで // 自殺について

 何歳ぐらいの方かわかりませんが、「ひとりごと」のキーワードで自死について書いてらっしゃるのを見て。

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自分にも「死にたい」という時期があった。正確には「死ぬか出家するかどちらか」だったけど。

母が亡くなった後、それまでも悪かった兄弟仲が骨肉の争いレベルとなり、
こころの病気の状態が悪化、生活も苦しかった。
しかし、その当時の居所にある尼寺の庵主様に諭され、そして、出家はあきらめたがせめて区切りをと頭を丸坊主にし、
色々な本を読んだりしてなんとか生き残った。

その後も何度か苦しい時があり、その度丸坊主にしたり、カウンセリングで話し合ったりして生き延びた。
その延長上が今の自分。

人生は苦しい。だけれど、困難を乗り越える度に色々学び、それを生かすように努めれば
生き残ることはできると自分は思っている。
そして、美しい自然、音楽、楽しい事、面白い事、美味しいものにも出会える。
死んだら、苦しみも無くなるけど、喜びも無くなってしまい、なによりも寂しい。

嫌な人間も多いけれど、自分と楽しみや喜びを分かち合える、励まし合える人もこの世には居ると自分は考える。
どうか、生きる事をあきらめないでと願ってやまない。

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 何故「出家を考えたか」についてですが、母の病気が悪化した頃から観音様に帰依し、臨済宗のお寺に時々お邪魔してお話を聞いたり坐禅会で坐ったりしていたため。学生の頃は大嫌いだった古典……徒然草を皮切りに枕草子源氏物語などの現代語訳等読むようにもなって、「世俗から離れたい」という気持ちがあったのです。兎に角、平穏な環境を求めてたんですよね。

 だけれど、尼寺の庵主様に「あなたは肩に力が入りすぎている。もっと楽になさい」というアドバイスを頂いたのと、それ以上に、生半可な気持ちで出家を考えてはいけないと強くしかられた事で、自殺も出家も自分の「道」の選択肢から消し……さりとて、モヤモヤは残っているので、ただでさえ短めだった髪を丸坊主にしてサッパリさせた、という訳。当時、前夫はびっくりしましたけど、元々自分が変人であることや、前夫と暮らす頃には既に自分は帰依していたのを知っていたので、見守ってくれました。ありがたいことです。

 今でも外出時は帽子をかぶりますが、丸坊主にした時に、外出先で周囲の人にじろじろ見られたり、驚かれるのが嫌だったためにかぶり始めたのがきっかけですね。近所の人から「頭部の手術をして、その跡を隠すために帽子をかぶってたんですか?」と聞かれもしましたが、ああまあいやちょっとまあそのなんですねーとかいう感じでテキトーにごまかしたり。

 離婚するまでは何度か丸坊主にしましたけど、大阪に移ってからは一度もしていません。転居してしばらく……まだ、今の精神科担当医と出会って治療が安定するまでは、何度か丸坊主にしたいという気持ちがありましたが、40歳も過ぎ、さすがにアバンギャルド(笑)なことはそろそろ止めようかと思うようになったのと、ガチガチだった信仰心がある程度のんびりしてきて、「丸坊主にしたところで=表面の形を変えたところで、内面が落ち着かなければ問題解決とは言えないのでは?」と考えるようになったからでしょう。

 今は、波はあるものの治療も安定し、「グータラマイペースマターリ仏教徒」っていうスタイルに落ち着いたこともあって、よほどの事が無い限りは丸坊主になることは無いでしょうね。ただ、黒や紺、グレーの服しか身につけないというのは変わりませんが。

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 開高先生は「風に訊け」の中で、

 (前略)ぼくは苦しみから逃げ出すためだけの自殺は否定しますが、強い意志による自殺は背(肯=編集部注)定します。どうか先生の自殺についての自論をお聞かせください。(朝霞注:ここまで読者の質問)

 

 自殺したいと思うことと、本当に自殺することとは、似ていて別のものである。一歩の違いがある。

(中略)

 ただ、こういうこともある──自殺を考えることによって、じつは自分を高めている、浄めているということがあって、これは一種の精神的外科手術なんだ。つまり、強く生きるために弱く自殺を考えるんだな。しかし、自殺を考えるのは弱いだけじゃない。君の言うように、強い意志による自殺衝動というものもあるだろう。が、最後の一歩、これが問題なんだ。

(以下略) 風に訊け 集英社文庫 279-280pより

 と、書いてらっしゃいます。

 死を意識することで、生へとつなげることも出来るのではという考えは大いにあると思うのです。自分の場合、感受性が高かった10代に父を亡くし、死についての恐怖が強く心に刻み込まれました。その反面、意識不明後の父の様子や、C型肝炎が重くなって行き、入退院を繰り返すようになった頃の母の様子を思うと、病苦から逃れるために楽に=死ぬことを、と思いもあったかも知れません。

 自分が自殺を考えたあの時は、庵主様が「言葉の警策(けいさく)」で自分の肩をバシッと強く叩いてくださったために、死へと踏み込まず、生き残ることが出来ました。その後も開高先生や今東光和尚、他の先達の方々の本や様々な方と出会い、語りして「生と死の水際」をとぼとぼ、ふらふら、死や厭世に近づいたと思えば、おっかなびっくりしたり、本や先達の方の言葉にピシャリとやられたりして、生や現実に戻ったりし……ナントカ今も生きています。

 ぶっちゃけ、誰でもいつかは死にます。それだったら、何も急ぐこたぁない、って事なんです。ハイクにも書きましたが、生きていれば感動したり楽しいことだってあります。死んでしまったらそれに出会う機会さえ消えてしまう。それは寂しいと自分は思うのです。

 80年代は楽しかった。でも、21世紀には21世紀なりの楽しみはありますし、この先10年20年先にも面白い事は起きるはず。面白い事楽しいことは、苦しい出来事を乗り越える「清涼剤、活力剤」だと自分は思っていますから、やっぱ、自殺しないで欲しいって思うんですよね。うん。

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 「だって、今日、良いことがあるなんて昨日カンペキに予想すること出来なかったと思うんです。あなたとこうやってお話出来てうれしいと予想できなかったと。明日も良いことあるかも知れないですよねえ。だから自分は今日も生き、明日も生き、ずっと生きていたいと思うんです」

 これはちょっと前に、とある方との話の中で自分が話したこと。