小料理屋さつきの天井裏

「小料理屋さつき」では扱わない小ネタとかmixiからの転載等。

雑記:彼は平凡でいたかった?:2011年12月11日

電車で席譲るキアヌが話題に、横に立った大きな荷物持つ女性に声かける。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1843022&media_id=84

(2012/08/16注:電車で席譲るキアヌが話題に、横に立った大きな荷物持つ女性に声かける。 | Narinari.com :http://www.narinari.com/Nd/20111216915.html
 
 ウィキペディア等を読むと、彼の人生って結構影もあるんだなと感じる。
 でも、オフの時の彼の日々の有り様っていうのは、彼が生まれ持ってきた「気質」とか「性格」とか、そういうのもあるのかなとも思う。
 お気に入りの服を大事にしたり、ポルシェにクリスマスツリー用のもみの木をむりやりくくりつけて運んだり、公園でぼんやりと過ごしたり。
 
 自分の人生がどんなに変化したとしても、「これだけは」というのがあると思う。
 貧乏になっても、金持ちになっても、幸せになっても、不幸になっても。
 自分の場合、本だったり、時折なめるワインだったり、質実剛健なアイテムや、文房具等だったりする。また、「マジカルラジカルフリーダムグータラ仏教徒」であることも。
 
 個人的な想像だけれど、彼もまた、自分を取り巻く環境が変わっても、変えたくない事があるのではと思う。また、人生の中で何か思うところがあって、その為に、「これだけは」というものを大切にしたいと思っているのかも知れないと思う。
 
 彼は仏教を信じているとウィキペディアにあった。
 彼がもし、自分と同じように、肩に力を入れないフリーダムな仏教徒であれば、プライベートな時間を、風や光を感じつつ、静かに内省するゆるやかな時にあてたり、町ゆく人の中に何かを見たりするのだろうと思う。
 
 仏教徒として、お経も大事、お参りも大事だと思う。
 けど、一番大事だと思うのは、一瞬一瞬を「有り難い」と思い、自分独りだけで生きているのではなく、多くの人との「ご縁」があって生きているということを意識すること。そして、優しい気持ちやマナー、道徳心というのを忘れない事だと個人的に思っている。
 今東光和尚さまは「生きていること自体が仏教的であればよろしい」というような意味の事をおっしゃっている。
 彼が、プライベートの時間をゆるゆると過ごしていることが、彼にとって仏教的な時間であればいいのではと自分は思う。むしろ、仏教を信ずる一人として、「あらまほし」とも思う。
 
 出来れば、そういう彼のライフスタイルを周囲やマスコミ、ファンが温かく見守って欲しいと願って止まない。

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 2012/08/16注:これを書いたあと、当該ニュース記事から見てきて下さった方がコメントを寄せて下さったりしたこともあり、転記。個人的にも気に入ってる話です。